コリント人への第一の手紙 1

1 神様に選ばれて、キリスト・イエスを宣べ伝える伝道者となったパウロと、信仰の友ソステネから、 2 神の民として招かれ、キリスト・イエスによって神様に受け入れられる者とされた、コリント教会の皆さん、および主イエス・キリストの御名を至る所で呼び求めているクリスチャンの方々へ。 この主は、私たちの主であると共に、すべての人の主です。 3 どうか、父なる神と主イエス・キリストが、あなたがたをあふれるほど祝福し、すばらしい平安を与えてくださいますように。 4 神様があなたがたにお与えになったすばらしい贈り物を思う時、感謝せずにはいられません。 今やあなたがたは、キリスト様のものとなったのです。 5 キリスト様は、あなたがたの全生活を充実させてくださり、キリスト様について大胆に語る力や、真理を十分に理解する力を与えてくださいました。 6 以前、私が、キリスト様はきっとそうしてくださる、と話しておいたとおりでしょう。 7 今やあなたがたは、あらゆる恵みと祝福とを手にしたのです。 主イエス・キリストのおいでを待ち望んでいるこの時、主のお心にかなったことをするのに必要な、あらゆる霊の賜物と力とが、あなたがたには備わっています。 8 そして、主が再び来られるその日に、あなたがたが罪も欠点もない者と認められるように、主は最後まで責任をもって守ってくださいます。 9 この神様の約束は確かです。 神様はいつでも、口にしたことばをそのとおり実行なさるからです。 この神様があなたがたを、神の子、すなわち主イエス・キリストとのすばらしい交わりに、招き入れてくださったのです。 10 しかし、愛する皆さん、私は主イエス・キリストの御名によってお願いします。 仲間同士の言い争いはやめなさい。 教会の中で仲間割れなどしないよう、真の一致を保ってください。 同じ考え、同じ目的で結ばれて、一つ心になってほしいのです。 11 実は、クロエの家の者が知らせてくれたのですが、愛する皆さん、あなたがたの間には、口論や反目があるそうではありませんか。 12 ある人は「私はパウロの弟子だ」と言い、また、ある人は「私はアポロの弟子だ」とか「私はペテロの弟子だ」と言い、また、ある人は「自分たちだけがキリスト様の真の弟子だ」と言っているそうですね。 13 そのように言い争って、キリスト様を小間切れにするつもりですか。 しかし、このパウロが、あなたがたの罪のために死にましたか。 あなたがたのだれが、私の名によってバプテスマ(洗礼)を受けたでしょうか。 14 いま私は、あなたがたのところで、クリスポとガイオのほかには、だれにもバプテスマを授けなかったことを、心から感謝しています。…

コリント人への第一の手紙 2

1 愛する皆さん。 私が初めて皆さんのところへ行った時、神様からのことばを伝えるのに、程度の高い、難しいことばづかいをしたり、りっぱな理論をふりまわしたりはしませんでした。 2 なぜなら、イエス・キリストと、その十字架上の死以外は語るまい、と決心したからです。 3 私は弱々しく、おずおずと、震えおののきながら、あなたがたのところへ行きました。 4 また私の説教も、雄弁な説得力あることばや、人間的な知恵にはほど遠く、全く単純そのものでした。 しかし、そのことばには神様の力がこもっていて、聞く人々は、それが神様からのことばだとわかったのです。 5 私がそうしたのは、あなたがたの信仰が、人間のすぐれた思想にではなく、神様に根ざしてほしかったからです。 6 とはいえ、成長したクリスチャンの間では、私はすぐれた知恵のことばを語ります。 しかしそれは、この地上の知恵ではなく、また、滅ぶべき運命にある、この世のお偉方の気に入る知恵でもありません。 7 私たちのことばに知恵があるのは、それが神様から出た教えで、天の栄光に導く、神様の知恵に満ちた計画を告げるものだからです。 この特別の計画は、以前は隠されていましたが、世界の始まる前から、私たちのために備えられていたものです。 8 しかし、この世の偉い人々は、このことを理解しませんでした。 もし理解していたら、まさか栄光の主を十字架につけるようなまねは、しなかったでしょう。 9 まさに、旧約聖書の次のことばどおりです。 「普通の人が、これまで見聞きしたことも、 想像したこともないほどすばらしいことを、 神様は、ご自分を愛する人々のために 用意してくださった。」 10 しかし私たちには、このすばらしいことがわかっています。 神様がご自分の御霊を通して知らせてくださったからです。 神の御霊は、神様の最も奥深い秘密を探り出して、それを教えてくださるのです。 11 人が何を考えているか、その人が実際にどんな人間であるか、本人以外にはわかりません。 同様に、神様の考えを知りうるのは、神の御霊以外にありません。 12 事実、神様は私たちに、この世の霊ではなく、ご自分の御霊を与えてくださいました。 それは、神様からの、すばらしい恵みと祝福という贈り物を、私たちが知るためです。 13 この贈り物について話す時、私たちは、自分が人間として選んだことばではなく、聖霊様によって教えられたことばを使ってきました。 つまり、聖霊様のことを説明するには、聖霊様のことばを用いるのです。…

コリント人への第一の手紙 3

1 愛する皆さん。 私は皆さんにクリスチャン生活の面では、まるで子供に対するように書いてきました。 あなたがたは、主に従わないで、好きかってに、ふるまっています。 そんなあなたがたに、御霊に満たされた健全なクリスチャンを相手にしているようには書けないからです。 2 つまり、堅い食物を避けてミルクを飲ませました。 堅い食物の消化はむりだったからです。 現に今でも、ミルクしか飲めない有様です。 3 相変わらず、よちよち歩きもおぼつかないクリスチャンで、神様に従うどころか、好きかってに、ふるまっているのですから。 それは、あなたがたが、ねたみ合い、仲間割れをしていることからも、明らかです。 実際、あなたがたの態度ときたら、まるで主を信じていない人みたいです。 4 「パウロとアポロとどちらが偉いか」などと口論して、教会を分裂させている現状では、主にあって少しも成長していないことを、さらけ出しているようなものではありませんか。 5 私たちが争いの原因になるなんて! いったい、私が何者だと言うのですか。 アポロが何者ですか。 ただ神様に仕える者にすぎず、それぞれに特別の才能が与えられて、あなたがたが信じるように、手助けしたにすぎません。 6 私の仕事は、あなたがたの心に種をまくことでした。 アポロの仕事は、それに水をやることでした。 しかし、あなたがたの心の中でそれを生長させたのは神様であり、私たちではありません。 7 まく者も、水をやる者も、さほど大切ではありません。 大切なのは、生長させてくださる神様なのです。 8 アポロも私も、同じ目標を目指して働いていますが、それぞれ、その労苦に従って報酬を受けるでしょう。 9 私たちは神様の協力者にすぎません。 あなたがたは、私たちの畑ではなく、神様の畑です。 私たちの建物ではなく、神様の建物です。 10 神様は恵みによって、私に、どうしたら腕のよい建築家になれるかを教えてくださいました。 私が土台をすえ、アポロがその上に建物を建てました。 しかし、その土台の上に建物を建てる者には、細心の注意力が必要です。 11 私たちがすでに持っている本物の土台――イエス・キリスト――以外に、土台をすえることなど、だれにもできないからです。 12 しかし、この土台の上には、いろいろの材料で建てることができます。 金や銀や宝石を使う人もいれば、また、木や草、あるいは、わらなどを用いる人もあります。 13 やがて、すべてがテストされる、キリストのさばきの日が来ます。 その時には、建築家が各自どんな材料で建てたか明白になります。 それぞれの仕事は火でテストされ、なお、価値が変わらないかどうか、ほんとうに完璧な建物かどうかが、だれの目にも明らかになります。 14 そして、その土台の上に適切な材料を使って建てた人は、建物があとに残るので、報酬を受けます。 15 しかし、家が焼けてしまった人は、大損害をこうむります。 ただその人自身は、炎の中をくぐり抜けるように、命からがら救われるでしょう。…

コリント人への第一の手紙 4

1 こういうわけで、アポロや私を、神の特別の計画を説明し、その祝福を配って回る、キリスト様の家来と考えてください。 2 ところで、家来にとって一番大切なことは、主人の命令に従うことです。 3 さて、私の場合はどうでしょう。 良い家来だったでしょうか。 この点に関して、あなたがたがどう考えようと、また、ほかの人がどう思おうと、私は少しも気にしません。 この件については、自分の判断さえ、信用していないのです。 4 良心にやましいところは、さらさらありませんが、だからといって、安心しきっているわけでもありません。 調べた上で判決をお下しになるのは、主ご自身だからです。 5 ですから、主がまだお帰りにならないうちから、ある人が良い家来かどうか、せっかちに結論を下すことがないように注意しなさい。 主が来られる時、すべては明るみに出されます。 一人一人の心の奥底までが見通され、ありのままの姿が、だれの目にもはっきり見えるようになります。 その時、私たちが、なぜ主の仕事をしてきたのか、だれにもわかるようになります。 そして、一人一人が、ふさわしい賞賛を神様から受けるのです。 6 これまで私は、アポロと自分を例にあげて説明してきました。ある人を特別にえこひいきしてはならないことを、教えたかったのです。 神様がお立てになった教師の一人を、他の教師以上に誇ってはなりません。 7 いったい何について、そんなに得意になるのですか。 あなたの持ちもので、神様からいただかないものがありますか。 その全部が神様からいただいたものなら、どうして、さも偉そうにふるまうのですか。 また、自力で何かを成し遂げたような態度をとるのですか。 8 あなたがたは、自分に必要な霊の食べ物はみな、すでに手にした、と思っているようです。 十分に満ち足り、霊的に満足しています。 私たちを差し置いて、裕福な王様になり、王座にふんぞり返っています。 ああ、ほんとうに王座についていたらよかったのに。 そうすれば、いつか私たちも、その王座で、あなたがたと共に君臨できたでしょうに。 9 しばしば、こんな思いが私に浮かびます。 神様は私たち使徒を、死刑を目前にした捕虜のように凱旋行列の最後に引き出し、人々や御使いの前で見せ物にされたのだ、と。 10 信仰のために私たちが愚か者になったと、あなたがたは言います。 そういうあなたがたは、もちろん、たいそう賢い、分別あるクリスチャンですとも。 私たちは弱くて、あなたがたは強いのです。 人受けのよいあなたがたと違って、私たちは笑いものにされています。 11 今の今まで、私たちは飢えと渇きに悩まされ、寒さをしのぐ着物さえありませんでした。 自分の家もなく、どこへ行っても、冷たくあしらわれるばかりでした。 12 また、生活のために、自ら汗水流して働きました。 私たちをのろう人たちを、かえって祝福し、危害を加えられても耐え忍び、 13 ののしられても、おだやかに答えるのが常でした。 それなのに、今この時に至るまで、私たちは、まるで足もとのちりや、ごみのようです。 14 このように書いたのは、あなたがたに恥をかかせるためではありません。 愛する子供として戒め、さとすためです。 15 たとい、キリスト様のことを教えてくれる人が一万人いたとしても、あなたがたの父はこの私だけであることを、忘れないでください。 良い知らせを伝えて、キリスト様に導いたのは、この私一人なのですから。…

コリント人への第一の手紙 5

1 あなたがたの間に起こった、ひどい出来事について、みんながうわさをしています。 それは、「異教徒」でもしでかさないほどの不始末で、父の妻(おそらく、まま母のこと)と不義の関係にある人が、教会にいるそうではありませんか。 2 それでもなお、自分たちは「霊的」だと白を切るつもりですか。 どうしてそのことで嘆き悲しみ、恥じないのですか。 なぜその人を教会から除名しないのですか。 3-4 いっしょにはいませんが、私もこの問題をよく考えてみました。 そして、実際その場に居合わせたように、主イエス・キリストの御名によって、すでに対策を決めました。 さっそく教会で集会を開きなさい。――その時、主イエスの力があなたがたと共にあり、私も霊において出席します。―― 5 そして、その人を罰するために、教会から追放して、サタンの手に引き渡しなさい。 そうするのは、主イエス・キリストが帰って来られる時に、その人のたましいが救われるようにと願うからです。 6 潔白さを誇るあなたがたが、こんな事件に目をつぶっているかと思うと、ぞっとします。 たとい一人でも、罪を犯すままに放任しておけば、やがてその影響が全員に及ぶことが、わからないのですか。 7 恐ろしい癌であるその人を、あなたがたの間から除きなさい。 そうすれば、きよさを保てます。 神の小羊であるキリスト様は、私たちのためにすでに殺されたのです。 8 ですから、悪意や不正でいっぱいの、癌に冒された古い生活から、全く離れなさい。 しっかりキリスト様につながり、クリスチャン生活において、力強く成長しようではありませんか。 悪意や不正のまじったパンではなく、栄誉と誠実と真実の純粋なパンを、食べようではありませんか。 9 私は以前、あなたがたに手紙で、悪い人たちと交際しないように書き送りました。 10 しかし、それは、性的な罪を犯している者、欲張りの詐欺師、どろぼう、偶像を拝む者、というような不信仰者とは口もきくな、という意味ではありません。 そのような人たちから離れていようとすれば、この世では、とうてい生きていけないからです。 11 私がほんとうに意図したところは、自分はクリスチャンだと公言している者で、しかも性的な罪にふける者、貪欲な者、人をだます者、偶像を拝む者、酒に酔う者、口ぎたなくののしる者とはつき合うな、ということです。 そのような者と共に食事をすることさえいけません。 12-13 教会外の人たちをさばくことは、私たちの務めではありません。 神様お一人のなさることです。 しかし、教会員でありながら、このような罪を犯す者がいたら、きびしい処置をとることは、当然です。 その悪い人を処罰し、教会から除名しなければなりません。 —https://d1b84921e69nmq.cloudfront.net/32/32k/1CO/5-ecf090be85e6510e7ee8f8d5fc183f02.mp3?version_id=83—

コリント人への第一の手紙 6

1 クリスチャン同士の争いが生じた場合、どちらが正しいかを、他のクリスチャンに判断してもらおうとせず、異教徒の法廷に訴え出るとは、いったいどういうつもりですか。 2 いつか、私たちクリスチャンがこの世をさばき、支配する日が来ることを知らないのですか。 この世こそあなたがたにさばかれる運命にあるのに、どうしてあなたがたは、内輪のそんなささいな事件さえ解決できないのですか。 3 クリスチャンは、天の御使いさえもさばくようになることがわからないのですか。 この地上での自分たちの問題をさばくくらい、朝飯前のはずです。 4 それなのに、なぜ、教会外の、クリスチャンでもない裁判官のもとへ出向くのですか。 5 あえてあなたがたに恥をかかせようと、私はこう言うのです。 いったい教会には、こうした争いを解決できる賢明な人が、一人もいないのですか。 6 それで、クリスチャンがクリスチャンを訴え、しかも、それを異教徒の前に持ち出すようなまねをするのですか。 7 そもそも、訴え合うこと自体が、クリスチャンにとって、すでに敗北です。 なぜ、不正な仕打ちに甘んじようとしないのですか。 むしろ、だまされるほうが、もっと主に喜ばれるでしょう。 8 ところが、あなたがたは不正を行ない、だまし取り、しかも兄弟(信仰を同じくする人)に対して、そんなことをしているのです。 9-10 こんな者が神の国を相続できないのは、当然ではありませんか。 思い違いをしてはいけません。 不道徳な生活をしている者、偶像を拝む者、姦淫する者や同性愛にふける者は、神の国を相続できません。 どろぼう、貪欲な者、酒に酔う者、人をそしる者、強盗も同様です。 11 あなたがたの中にも、そんな過去をもつ人がいます。 しかし、主イエス・キリストと神の御霊のおかげで、今や罪は洗い流され、あなたがたは神様のために聖なる者とされ、神様に受け入れられているのです。 12 キリスト様が禁じておられること以外、私には、何でもする自由があります。 しかしその中には、自分のためにならないこともあります。 たとい、してよいことであっても、それに捕らえられたら最後、やめようとしても簡単にやめられないことには、手を出しません。 13 たとえば、食べることについて考えてみましょう。 神様は、物を食べるために食欲を与え、消化するために胃を備えてくださいました。 しかし、だからといって、必要以上に食べてよい、ということにはなりません。 食べることが第一だなどと考えてはいけません。 なぜなら、いつの日か神様は、胃も食べ物も取り上げるからです。 しかし、性的な罪は絶対にいけません。 私たちの体は、そんなことのためにではなく、主のために造られたのです。 そして、主ご自身が、私たちの体に住もうと願っておられます。 14 神様は、主イエス・キリストを復活させたのと同じ力で、私たちの体をも、死人の中から復活させようとしておられます。 15 あなたがたの体は、事実、キリスト様の体の一部であることが、わからないのですか。 キリスト様の体の一部と売春婦とを結びつけるようなことをしてよいでしょうか。 とんでもないことです。 16…

コリント人への第一の手紙 7

1 さて、この前の手紙にあった質問に答えましょう。 もし結婚しないなら、それは良いことです。 2 しかし、普通の場合、結婚するのが一番良いでしょう。 男はそれぞれ妻を、女も夫を持ちなさい。 そうでないと、不品行の罪に陥る危険があるからです。 3 夫は妻に、妻が当然受けるものを、すべて与えなければなりません。 妻もまた、夫に同様の義務を負っています。 4 結婚した女性は、もはや自分の体を自分の思いのままにする権利はありません。 妻の体に対する権利は、夫にもあるからです。 同様に、夫も、もはや自分の体を自分の一存で、どうこうすることはできません。 妻も、夫の体に対する権利を持っているからです。 5 ですから、互いにこの権利を拒んではなりません。 ただ一つの例外があります。 ひたすら祈りに専心するため、二人が合意の上で、一定の期間、夫婦生活から離れる場合です。 そのあと、二人はまたいっしょになるべきです。 それは、自制力の弱さにつけ込む、サタンの誘惑を避けるためです。 6 私は、結婚しなければならない、と言っているのではありません。 ただ、結婚したければ、してもかまわない、と言っているのです。 7 私の願いは、だれもが私のように、結婚しないでもやっていけることです。 しかし、人それぞれです。 神様は、ある人には、夫となり妻となる恵みを与え、ほかの人には、独身のまま幸福にすごす恵みを与えておられます。 8 さて、独身者と未亡人にひとこと言いますが、もし私のようにしていられるなら、独身のままでいるほうが良いのです。 9 しかし、もし自制できないなら、ためらわずに結婚しなさい。 情欲を燃やすよりは、結婚するほうが良いからです。 10 次に、結婚した人たちには、こうしたほうが良いと、単に忠告するのではなく、はっきりと命令しておきます。 この命令は、私が考え出したものではありません。 主ご自身からの命令です。 妻は、夫と別れてはいけません。 11 しかし、もしすでに別れているなら、そのまま一人でいるか、夫のもとに帰るかしなさい。 また、夫も、妻を離縁してはいけません。 12 ここで、少し私の考えを、付け加えておきましょう。 これは主からの直接の命令ではありませんが、私が正しいと思っていることです。 夫がクリスチャンで妻はそうでない場合、いっしょにいることを妻が望むなら、追い出したり離婚したりしてはいけません。 13 また、妻がクリスチャンで夫はそうでない場合も、夫がいっしょにいることを望むなら、離婚してはいけません。 14 なぜなら、クリスチャンでない夫は、クリスチャンの妻の助けによって、クリスチャンになるかもしれないからです。 また、同様のことが、クリスチャンでない妻の場合にも言えるからです。 もし家族がバラバラになってしまったら、子供たちは主を知る機会を失うことになります。 一方、家族が一つにまとまっていれば、神様の計画によって、子供たちも救われる可能性があるのです。 15 しかし、もしクリスチャンでない夫や妻が、どうしても別れたいと言うなら、そうさせなさい。 こんな時、別れようとする相手を、むりに引き留めるべきではありません。 神様は、自分の子供たちが仲良く平和に暮らすことを望んでおられるからです。…

コリント人への第一の手紙 8

1 次に、偶像に供えられた物を食べることはどうか、という質問に答えましょう。 この件については、だれもが、自分の判断は正しいと思っています。 しかし、自分の万全の知識がどんなに重要に思えても、教会を建て上げるためにほんとうに必要なのは、愛です。 2 もし、自分はどんな問題にも答えられる、と思い上がっている人がいたなら、それは、自らの無知をさらけ出しているにすぎません。 3 しかし、ほんとうに神様を愛している人は、神様に知られているのです。 4 では、先ほどの問題はどうなるでしょう。 偶像に供えた肉を食べてもよいのでしょうか。 私たちはみな、偶像など実際には神ではなく、神様はただお一人だけで、ほかにはいないことを知っています。 5 ある人は、偉大な神々は天にも地にも数多いと考えています。 6 しかし私たちは、父なる神ただお一人しかいないことを知っているのです。 この神様が、万物を創造し、人間をご自分のものとして造られたのです。 また私たちは、ただ一人の主、イエス・キリストがおられることを知っています。 この方が、すべてのものを造り、私たちにいのちを与えてくださるのです。 7 けれども、クリスチャンの中には、このことがわかっていない人もいます。 そういう人は、これまでずっと、偶像を生きているもののように考えてきたので、ただの偶像に供えられたにすぎない物を、あたかも、実在する神々に供えたかのように思ってしまうのです。そのため、それを食べる時にひどく気になり、傷つきやすい良心が痛むのです。 8 ただ、このことを覚えておいてください。 神様は、私たちがそれを食べるか食べないかなど、気にかけておられません。 食べなくても損にはならないし、食べても得をするわけではありません。 9 ただし、いくら自由だといっても、あなたがたがそれを食べたために、あなたがたよりも良心の弱いクリスチャンが罪を犯すようなことにならないよう、くれぐれも注意しなさい。 10 あなたが、偶像への供え物を食べても別に害にはならないことを知っていて、神殿の食堂で食事をしたとしましょう。 それを、食べてはいけないと思っている人が見たら、どうでしょうか。 その人は、いつもそれは悪いことだと思っているのに、つい気持ちがゆるんで、自分もそれを食べてしまうでしょう。 11 すると、あなたは、それを食べても差しつかえないことを知っていたために、傷つきやすい良心を持った兄弟に、信仰上の大きな損害を与えた責任を負うことになります。 キリスト様は、その兄弟のためにも死んでくださったのです。 12 ある行為は悪いと信じている兄弟が、あなたがたのふるまいに刺激されて、その行為をしてしまうなら、あなたがたはその兄弟に罪を犯し、同時に、キリスト様に対しても罪を犯すことになるのです。 13 ですから、もし偶像に供えた肉を食べることで、兄弟に罪を犯させるなら、私は一生、それを食べません。 私の兄弟に罪を犯させたくないからです。 —https://d1b84921e69nmq.cloudfront.net/32/32k/1CO/8-f45f21bbccbb7cbd3b97cd6c9333edcd.mp3?version_id=83—

コリント人への第一の手紙 9

1 私は使徒、すなわち神様の使者ですから、単なる人間に対して責任を負っているわけではありません。 私は、実際、この目で、主イエスを見た者です。 あなたがたの人生が一変したのは、私が主のために一生懸命働いた結果なのです。 2 たとい、ほかの人が私を使徒と認めなくても、あなたがたにとって、私は確かに使徒なのです。 あなたがたは、私を通してキリスト様に導かれたのですから。 3 私の権利をとやかく問題にする人たちに対しては、次のように答えることにしています。 4 いったい、私には、どんな権利もないのでしょうか。 ほかの使徒たちのように、あなたがたの家で、客としてもてなしてもらう権利はないのでしょうか。 5 もし私にクリスチャンの妻があればの話ですが、ほかの弟子や主の兄弟やペテロ同様、妻を連れて旅行もできないのでしょうか。 6 ほかの使徒はあなたがたから生活費をもらっているのに、バルナバと私だけは、生活のために働き続けなければならないのでしょうか。 7 いったい、自費で軍務につかなければならない兵士がいるでしょうか。 丹精した作物を食べる権利のない農夫の話など、聞いたこともありません。 世話をしている羊や、やぎの乳も飲めない羊飼いがいるでしょうか。 8 私は、ただ人間の考えだけを引き合いに出して、権利がどうのこうのと言うのではありません。 神様のおきてでは、どうなっているか示しましょう。 9 神様は、モーセにお与えになったおきての中で、「穀物を踏んで脱穀している牛に口輪をかけて、その穀物を食べる自由を奪ってはならない」と言っておられます。 神様は牛のことだけを心にかけて、こう言われたのだと思いますか。 10 私たちのことも、心にかけておられたのではないでしょうか。 もちろんそうです。 クリスチャンの働き人が、その人のおかげで益を受ける人々から報酬をもらうのは当然であることを、神様は教えたかったのです。 耕す者も脱穀する者も、当然、収穫の分け前にあずかることを、期待してよいのです。 11 私たちはあなたがたの心に、良い霊の種をまきました。 とすれば、そのお返しとして食べ物や着物を要求するのは、行き過ぎでしょうか。 12 あなたがたは、神のことばを伝えてくれたほかの人たちには、そうした必需品を提供しています。 それは当然のことです。 すると、なおさら私たちは、それらを要求する権利があるはずではありませんか。 けれども、一度も、この権利を持ち出したことはありません。 かえって、働いて自活し、援助を受けませんでした。 どんな報酬も求めなかった理由は、キリスト様の良い知らせをせっかく伝えても、報酬のために、あなたがたの関心が薄れるのではないかと心配したからです。 13 神の宮での奉仕者は、神様にささげられる食べ物の一部を自分のために取るように、という神様の命令を、知らないのですか。 また、祭壇の前で働く人々は、主へのささげ物の分け前をいただくのです。 14 同じように、主は、良い知らせを宣べ伝える者は、それを信じるようになった人々から生活を支えてもらうべきだ、と命じておられます。 15 けれども、私はあなたがたに、ビタ一文要求したことはありません。 それに、今からでもそうしてほしいと、それとなく、ほのめかしているのでもありません。 実を言えば、無報酬であなたがたに良い知らせを宣べ伝えることの満足感を失うくらいなら、飢え死にしたほうがましです。…

コリント人への第一の手紙 10

1 愛する皆さん。 昔、私たちの先祖が荒野でどんな経験をしたか、決して忘れてはなりません。 神様は、雲を案内役として立て、彼らを導きました。 また、全員が安全に紅海を通り抜けるように導きました。 2 これは、彼らの「バプテスマ」であった、とみなしてよいでしょう。 彼らは、モーセに従う者として――すなわち、指導者であるモーセにすべてを任せて――海と雲によって、バプテスマを受けたのです。 3-4 さらに神様は、奇蹟によって、荒野で彼らに、食べ物と飲み水をお与えになりました。 彼らは、キリスト様から水をいただいたのです。 キリスト様は、信仰に新しい力を与える力強い岩として、いっしょにおられたのでした。 5 それにもかかわらず、大部分の者が神様に従わなかったので、神様は、荒野で滅ぼしてしまいました。 6 この事実から、大切な教訓を学べます。 悪事を追い求めてはならないこと、 7 また、偶像を拝んではならないことです。 〔旧約聖書には、金の子牛を拝むために「人々は座っては飲み食いし、立っては踊った」と書いてあります。〕 8 ほかにも、教訓があります。 彼らのうちのある人たちが外国人の女と不道徳な罪を犯した時は、一日のうちに二万三千人もが死にました。 9 また、彼らのように、主がどれだけ忍耐してくださるかを、試すようなまねをしてはなりません。 主を試そうとした人たちは、蛇にかまれて死にました。 10 また、彼らのように、神様に向かって文句を言ったり、「神様のなさり方は不当だ」などと、不平を並べてはなりません。 それゆえに、神様は御使いを遣わして、彼らを滅ぼされたのです。 11 先祖たちの身に起こった、これらのことは、同じことをくり返すなと私たちに警告する実例、すなわち、生きた教訓です。 それが記録されたのは、世の終わりが近づいている今、私たちがそれを読んで、彼らの例から教訓を学ぶためにほかなりません。 12 ですから、よく注意しなさい。 「私は、そんなことは絶対にしないから大丈夫」などと思っている人がいれば、そういう人こそ、よくよく注意しなければなりません。 同じ罪を犯すかもしれないからです。 13 ただ、このことを覚えていてください。 あなたがたの生活の中に入り込む悪い欲望は、別に新しいものでも、特別なものでもないということです。 ほかにも多くの人たちが、あなたがたよりも先に、同じ問題にぶつかってきたのです。 どんな誘惑にも、抵抗するすべはあります。 神様は決して、とてもたち打ちできないほどの誘惑に会わせたりは、なさいません。 神様がそう約束されたのであり、神様の約束は必ず実行されるのです。 神様は、あなたがたが、誘惑に忍耐強く立ち向かえるように、それから逃れる方法を教えてくださいます。 14 ですから、愛する皆さん、偶像礼拝は、どんなものでも、用心深く避けてください。 15 あなたがたは頭がよいのですから、私の言うことが正しいかどうか、自分で考え、判断してください。 16 私たちが聖餐式で主の食卓に着き、ぶどう酒を飲んで、主の祝福を求める時、それは、そのぶどう酒を飲む者がみな、キリスト様の血の祝福を共に受けることを、意味しないでしょうか。 また、一つのパンをちぎって共に食べる時、それは、私たちがキリスト様の体の恩恵を共に受けることを、示すのではないでしょうか。…