ヘブル人への手紙 1

1 ずっと昔、神様は、幻や夢や、時には直接の語りかけなどの、いろいろな方法で、預言者を通して先祖たちに、ご自分の計画を少しずつ明らかになさいました。 2 しかし今の時代には、ご自分のひとり息子を通して語っておられます。 神様はその子にすべてを受け継がせ、彼によって、世界とその中のすべてのものをお造りになったのです。 3 神の子は、神様の栄光を受けて、まばゆいばかりに輝いています。 また、その人格と行動すべてにおいて、神であることを示し、力あることばによって、宇宙を統御しておられます。 そればかりか、私たちのいっさいの罪の記録を消し去ってきよめるために、死んでくださいました。 そして今は、最高の栄誉を受けて、天におられる偉大な神様のそばに、座っておられるのです。 4 こうしてこの方は、御使いより、はるかにすぐれた存在となられました。 それは、父なる神がおつけになった「神の子」という名が、御使いたちの名や肩書きとは比べ物にならないほど、すぐれていたからです。 5 神様はどの御使いに対しても、「あなたはわたしの子だ。 今日あなたに、その名にふさわしい栄誉を与えた」などと言われたことはありません。 しかし、イエス様に対しては、そう言われたのです。 さらに、「わたしは彼の父であり、彼はわたしの子である」と宣言されました。 6 それから、長子であるイエス様を地上に送る時、「御使いはみな、彼を拝め」と言われました。 7 御使いたちについて、神様は、「風のように速い使者、燃える炎のような力を持つしもべ」と紹介しておられます。 8 しかし、神の子については、全く違っています。 「神よ。 あなたの国は永遠に続く。 その支配は、いつも公平で正しい。 9 あなたは正義を愛し、悪を憎む。 それであなたの神は、 ほかのだれよりも多く、 あなたに喜びを注がれた。」 10 そればかりか、神の子を「主」と呼んで、こう言われました。 「主よ。 あなたは世の初めに地を造った。 天も、あなたの手による作品である。 11 これらは、やがて無に帰す。…

ヘブル人への手紙 2

1 そういうわけですから、私たちは、すでに聞いた真理を、ますますしっかり心にとめなければなりません。 そうでないと、真理から離れて、漂流することになります。 2 御使いのことばでさえ、いつも真理と認められ、そのことばに従わない人は、例外なく罰せられました。 3 そうであれば、主イエス自身の口から語られ、それを聞いた人たちが伝えてくれた、このすばらしい救いを無視した場合、どうして、罰を免れることができるでしょう。 4 神様は、この救いのことばの真実さを、多くのしるしと、目をみはる出来事と、さまざまの奇蹟によって示し、聖霊様が、信じる者に与えてくださる特別の能力によって、はっきり証明してくださいました。 神様は、この特別の才能を、一人一人に下さったのです。 5 私たちがいま話題にしている未来の世界は、御使いが支配する世界ではありません。 6 なぜなら、ダビデは旧約聖書の詩篇の中で、こう神様に語りかけているからです。 「あなたが、こんなにも大きな関心をお寄せになる人間とは、 いったい何者でしょう。 こんなにも高い栄誉をお与えになった人の子とは、 いったいどなたでしょう。 7 あなたはその方を、しばらくの間、 御使いよりも低いものとなさいましたが、 今は、栄光と誉れの冠をお授けになりました。 8 そればかりか、この世に存在するものすべてを 支配する権威を、お与えになったのです。」 その支配を逃れるものは、何一つありません。 私たちはまだ、このことばの完全な実現を見てはいません。 9 しかし、しばらくの間、御使いよりも低くされ、私たちのために死の苦しみを味わうことにより、今は栄光と誉れの冠を授けられた、イエス様を見ています。 まことに、イエス様は、神様の大いなる恵みのゆえに、全人類のために死なれたのです。 10 栄光を現わすために、すべてのものをお造りになった神様が、ご自分を信じる者たちを天まで引き上げるため、イエス様を苦しみに会わせたのは、まことに正しいことでした。 この苦しみをくぐり抜けて、イエス様は人々を救いに導くにふさわしい、完全な指導者となられたのです。 11 イエス様によってきよめられた私たちは、今では、イエス様と同じ父を持っています。 だからこそ、イエス様は、私たちを兄弟と呼ぶのを、恥とはされないのです。…

ヘブル人への手紙 3

1 そういうわけですから、神様の手で、天国の市民として選び出された、愛する皆さん。 お願いです。 どうか、神の使者であり、私たちの信仰の大祭司であるイエス様に、目をとめてください。 2 神の家で忠実に奉仕したモーセ同様、イエス様も、自分を大祭司に任命された神様に忠実な方です。 3 しかしイエス様は、モーセより、はるかにまさった栄光を、お受けになりました。 豪華な家よりも、その家を建てる人のほうが賞賛されるのと同じです。 4 家を建てることができる人は大ぜいいますが、すべてのものを造られたのは、神様です。 5 確かにモーセは、神の家のために、賞賛に値する仕事をしました。 しかし彼は、単なる神の召使にすぎません。 モーセの果たした主要な役割は、後に起こることを暗示することでした。 6 しかしキリスト様は、神様の忠実な息子として、神の家のいっさいの管理を任されました。 もし私たちが、最後まで、揺るがぬ確信を持ち続け、喜びと主への信頼を失わなければ、その神の家となれるのです。 そして神様が、そこに住んでくださるのです。 7-8 ですから、聖霊様はこう警告します。 キリスト様の声に注意深く耳を傾けなさい。 今日その声を聞いたら、昔のイスラエル人のように、心を閉ざしてはいけません。 彼らは荒野で試練を与えられた時、神様の愛にそむき、心を鋼鉄のように堅くして、文句を言い続けたのです。 9 彼らは神様が忍耐強いので図にのり、何度も何度も反抗しましたが、四十年の間、神様はそれを忍び通されました。 そればかりか、彼らの目の前で驚くべき奇蹟を行ない続けられました。 10 しかし、とうとう神様が、こう宣言される時が来たのです。 「わたしの怒りは極に達した。 彼らはわたしに心を向けたことがなく、いつもほかを見ていた。 そんな彼らに、わたしの用意した道が見いだせるはずがない。」 11 神様は怒り、決して人々を休息の地に導かないと、誓いを立てられたのです。 12 愛する皆さん。 心が悪に染まり、不信仰にこりかたまって、生ける神様から離れることがないように、自分の心を見張りなさい。 13 まだ時間があるうちに、日々、互いにこのことを確かめ合いなさい。 そうすれば、一人も罪の魅力に惑わされて、神様に心を閉ざす人が出ないでしょう。 14 もし私たちが、初めてキリスト様を信じた時と同じ気持ちで、神様に信頼し、最後まで忠実であれば、キリスト様にあるいっさいの祝福を、受けることができるのです。 15 ですから、今この時が、かんじんなのです。 次の警告を、かた時も忘れてはなりません。 「今日、語りかけてくださる神様の声を聞いたなら、荒野で反抗したイスラエル人のように、心をかたくなにしてはいけない。」 16 神様の声を聞きながら、逆らった人たちとは、いったいだれでしょう。 指導者モーセに率いられて、エジプトを脱出した人たちです。…

ヘブル人への手紙 4

1 とはいえ、だれでも、神様の用意された休息の地に入れるという約束は、今でも有効です。 ですから、あなたがたの中で、万一にも入りそこなう者が出ないように、警戒しようではありませんか。 2 なぜなら、モーセの時代の人たちと同様、私たちにも、救いをもたらす、すばらしい知らせが伝えられているからです。 ところが、モーセの時代の人たちには、この知らせは何の役にも立ちませんでした。 彼らは聞いても信じなかったからです。 3 休息の地に入れるのは、神様を信じる私たちだけです。 世の初めから、受け入れ態勢を整えて待っておられた神様は、「わたしは怒って誓う。 わたしを信じない者を決して入らせない」とも宣言されたのです。 4 私たちは、神様が準備万端ととのえて、待っておられることを知っています。 神様は創造の七日目に、計画どおりにすべてをなし終えて休まれた、と書いてあるからです。 5 にもかかわらず、彼らは閉め出されてしまいました。 神様がついに、「彼らを決してわたしの休息に入れない」と言われたからです。 6 しかし、休息の地への約束はまだ有効であり、中には、そこに入ることが許されている人もいます。 それは、不従順のため、最初に与えられた機会を失った人たちではありません。 7 しかし神様は、新しい機会を与えてくださいました。 それが今なのです。 最初の人たちの失敗の後、長い年月が過ぎたころ、神様はダビデ王を通して、このことを知らせてくださいました。 すでに引用したように、「今日、語りかけてくださる神様の声を聞いたら、心をかたくなにしてはいけない」と。 8 ここでの新しい休息の地とは、ヨシュアに率いられて入った、パレスチナの地ではありません。 もしそうなら、ずっとあとになって、今日がそこに入る時だ、などと言われるはずがないからです。 9 そういうわけで、完全な休息が、今なお、神様を信じる人たちを待ち受けているのです。 10 キリスト様は、もうすでに、そこにお入りになりました。 神様が創造の働きを終えて休まれたように、キリスト様も、任務を果たして、今はゆっくり休んでおられるのです。 11 ですから私たちも、この休息の地に入れるように、最善を尽くしましょう。 イスラエルの人たちが、神様に不従順であったために、入りそこねたことを肝に銘じて、くれぐれも注意しようではありませんか。 12 神様のことばは生きていて、力にあふれています。 それは、鋭い刃物みたいに切れ味がよく、心の奥深くに潜んでいる思いや欲望にまでメスを入れ、私たちの赤裸々な姿をさらけ出します。 13 神様はすべての人の心を、その人がどこにいようと、探り知るお方です。神様に造られたもので、その目から隠れおおせるものは、一つもありません。 今も生きて、すべてを見抜かれる神様の前に、裸のままさらけ出されているのです。 私たちはこの方に対して、自分のした、いっさいのことを、弁明しなければなりません。 14 しかし、私たちを助けるために、天にのぼられた偉大な大祭司、神の子イエス様が味方です。 ですから、イエス様への信仰を、決して失うことがありませんように。 15 この大祭司は、私たちと同じ試練に会われたので、人間の弱さをよく知っておられます。 しかしただの一度も、誘惑に負けて罪を犯したことはありません。…

ヘブル人への手紙 5

1-3 ユダヤの大祭司は、人々の代表として、いろいろな供え物をささげ、神様に仕えます。 しかし、大祭司といえども同じ人間なので、人々のためだけでなく、自分の罪が取り除かれるためにも、いけにえの動物の血をささげます。 また、彼も人間なので、愚かで無知な人人を、やさしくいたわることができます。 彼自身も同じ試練にさらされているので、他の人々の問題をわが事のように理解し、同情できるのです。 4 もう一つ大祭司について言えるのは、自分の意志では大祭司になれないということです。 アロンが選ばれた時のように、大祭司となる者は、神様から直接、その務めに任命される必要があります。 5 キリスト様も、名誉ある大祭司の地位につかれましたが、自分の意志で、そうなさったのではありません。 神様がお選びになったのです。 神様はこの方に、「わが子よ。 今日、わたしはあなたに栄誉を授けた」と言われました。 6 またさらに、「あなたは、メルキゼデクと同じ位にある、永遠の祭司に選ばれた」と告げました。 7 キリスト様はこの地上におられた時、神様に願い、死から救いうるただ一人の方に、たましいのうめきと涙とをもって祈られました。 この祈りは、どんな場合にも神様に従おうとする、キリスト様の切なる願いのゆえに、聞き入れられたのです。 8 イエス様は神の子であられたのに、神様に従うことには多くの苦しみが伴うことを、身をもって学びました。 9 この体験を通して、ご自分の完全さを実証し、その上で、ご自分に従うすべての人に永遠の救いを与える者となられたのです。 10 ここで、神がキリスト様を、メルキゼデクと同じ位に立つ大祭司としてお選びになったことを、思い起こしなさい。 11 このことについては、まだまだ話し足りません。 しかし、聞く意志がないあなたがたに、理解してもらうのはむりです。 12-13 あなたがたは、もう長い間、クリスチャンとして生きてきました。 もうほかの人を教えても当然なのに、もう一度、神様のことばのイロハから手ほどきしてもらわなければならないほど、だめになっています。 まるで、固形物を食べるまでには成長していないので、いつもミルクばかり飲んでいる赤ん坊みたいです。 クリスチャン生活のごく初歩のところを行きつ戻りつして、善悪の区別さえ、おぼつかない状態なのです。 要するに、まだ赤ん坊のクリスチャンです。 14 あなたがたがもっと成長し、正しい行ないをすることによって、善悪の区別がつくようになるまでは、堅い霊の食べ物を食べることも、神様のことばの深い意味を悟ることも、むりでしょう。 —https://d1b84921e69nmq.cloudfront.net/32/32k/HEB/5-5a890bb0617fa7a78dd05a6bf3e2764b.mp3?version_id=83—

ヘブル人への手紙 6

1 ですから、キリスト教の初歩の教えをいつまでも卒業できずに、堂々巡りをするのはやめましょう。 むしろ、もっと理解力を高め、さらにすぐれた教えを目指して進みましょう。 善行によって救われようとするまちがいや、神様を信じる信仰の必要性などを、これ以上聞くには及びません。 2 バプテスマ(洗礼)、聖霊様を受けること、死人の復活、永遠のさばきについても、これ以上教えられる必要はありません。 3 主のお許しがあれば、次の段階に進もうではありませんか。 4-6 あなたがたが、いったん、神様の良い知らせを理解し、天からの恵みを味わい、聖霊様をいただく特権を与えられ、また、神様のことばのすばらしさを知り、未来の世界の超自然的力をはだで感じ取ったとします。 しかし、それでもなお、神様に背を向けるとしたら、もう一度、主に立ち返ることはできません。 キリスト様を拒絶することは、神様のひとり息子をもう一度十字架につけ、人前でさらしものにすることだからです。 そんな人は、もはや悔い改めようにも、改めようがありません。 7 十分に雨を吸い込んでよく潤った畑が、農夫に大豊作をもたらしたとしたら、その畑は、神様の祝福をむだにしなかったことになります。 8 しかし、いばらやあざみばかりを生えさせるなら、その畑は役立たずとして、焼き払われてしまいます。 9 愛する皆さん。 とはいえ、すべてが、あなたがたに当てはまるわけではないでしょう。 私は、あなたがたが救いにふさわしい実を結んでいるものと、確信しています。 10 神様は、決して不公平な方ではありません。 あなたがたが、神様のために熱心に働いてきたことや、クリスチャンの同胞に、ずっと援助の手を差し伸べてきた愛を、決してお忘れにはなりません。 11 そこで私たちは、あなたがたがこの世にあるかぎり、いつも人を愛し続けて、十分な報いを受けることができるようにと、ひたすら願っています。 12 前途に希望をいだいているかぎり、クリスチャンであることに飽き飽きしたり、信仰生活が怠惰に流れたり、無関心に陥ったりすることはありません。 かえって、強い信仰を持ち、忍耐し続けることによって、神様の約束なさったものを余すところなく受けた人たちの模範に、ならう者となるでしょう。 13 アブラハムに与えられた約束を思い出しなさい。 神様は、自分以上にすぐれた存在はありえないので、自分の名を指して誓われました。 14 すなわち、幾度もアブラハムを祝福し、子供を与え、偉大な国民の父とする、と言われたのです。 15 そこでアブラハムは、その約束を忍耐して待ち望み、ついに約束どおり、息子のイサクを授かりました。 16 人は何かを約束した場合、それを必ず実行する意志と、万一破った時には、どんな罰にも甘んじる覚悟を示すために、自分よりもすぐれた者の名にかけて誓います。 いったん誓ってしまえば、もうだれも、とやかく言うことはできません。 17 そういうわけで、神様からの助けを約束された人たちが、その約束の絶対的な確かさを知り、その計画の変更を気づかう必要がないように、神様も誓いによって約束の確かさを保証されたのです。…

ヘブル人への手紙 7

1 メルキゼデクは、サレムの町の王で、すぐれて高い神様の祭司でした。 アブラハムが多くの王たちとの戦いに勝って凱旋した時、メルキゼデクは出迎えて祝福しました。 2 その時アブラハムは、戦利品の十分の一をメルキゼデクに差し出しました。 メルキゼデクという名前の意味は「正義」であり、サレムという町の名は「平和」を意味していました。 ですから、彼は正義の王であり、平和の王です。 3 メルキゼデクには父も母もなく、先祖の記録もありません。 また誕生も死もなく、そのいのちは、神の子のいのちに似ています。 それゆえ、彼は永遠に祭司なのです。 4 メルキゼデクがどんなに偉大な人物であるか、考えてみましょう。 神様がお選びになった人の中で、最も尊敬されていたアブラハムでさえ、メルキゼデクには、王たちからの戦利品の十分の一を与えました。 5 メルキゼデクがユダヤ人の祭司であったなら、確かにアブラハムのこの行為も、うなずけます。 というのは、後に、神様の民は、血のつながった親族である祭司のために献金することを、おきてによって義務づけられたからです。 6 ところが、メルキゼデクはアブラハムの親族ではなかったのです。 しかし、アブラハムは彼に献金しました。 メルキゼデクもまた、偉大なアブラハムを祝福しました。 7 言うまでもなく、祝福を与える人は祝福を受ける人よりも、常に偉大なはずです。 8 また、ユダヤ人の祭司たちは、やがては死ぬべき人間であるにもかかわらず、一般から十分の一のささげ物を受けましたが、メルキゼデクは、永遠に生きている、と言われています。 9 さらに、十分の一を受けるユダヤ人祭司の先祖であるレビ自身も、アブラハムを通してメルキゼデクに十分の一をささげたと言って差しつかえないでしょう。 10 レビは、まだ生まれてはいませんでしたが、メルキゼデクに十分の一をささげた、アブラハムの直系の子孫だからです。 11 もしユダヤ人の祭司とおきてに、私たちを救う力があるとしたら、なぜ神様は、あえてアロンの位に等しい祭司〔ユダヤ人の祭司はすべてアロンの位を受け継いでいる〕ではなく、メルキゼデクの位に等しい祭司である、キリスト様をお立てになったのでしょうか。 12-14 新しい系統の祭司が立てられる時、それを受け入れるために、神様のおきても改められなければなりません。 キリスト様がレビ族とは全く無関係の、しかも、モーセが祭司として任命したこともない、ユダ族から出られたことは、周知の事実です。 15 そういうわけで、私たちは、これまでの神様の秩序に大きな変更があったことを、認めざるをえません。 キリスト様が、メルキゼデクの位に等しい、新しい大祭司として立てられたからです。 16…

ヘブル人への手紙 8

1 以上書いてきたことを要約すると、次のようになります。 私たちの大祭司はキリスト様であり、現在、天で、神様の次に名誉ある地位についておられます。 2 このお方は、人間の手によらず、主によって建てられた天の神殿で、祭司の仕事をしておられます。 3 大祭司の務めは、供え物といけにえとをささげることです。 ですからキリスト様も、その務めをなさいます。 4 この方のいけにえは、地上の祭司たちがささげるいけにえより、はるかにまさっています。 〔しかし、もしキリスト様が、今なお地上におられるとしたら、決して祭司にはなられなかったでしょう。 この地上には、ユダヤ人の古いいけにえの制度を守る祭司がいるからです。〕 5 地上の祭司が奉仕する神殿は、天にある本物の神殿をまねて造ったものにすぎません。 幕屋を建てようとしたモーセは、シナイ山で神様から指示を受け、天にある幕屋の型に寸分違わぬものを造るように、と警告されたからです。 6 しかし今、キリスト様は天における祭司として、古いおきてに従っている祭司たちより、はるかに重要な任務をゆだねられています。 なぜなら、キリスト様が私たちに伝えてくださる神様の新しい契約には、さらにすばらしい約束が含まれているからです。 7 古い契約は、もはや無効になりました。 もし効力があれば、別の新しい契約を立てる必要はなかったでしょう。 8 しかし神様は、古い契約の欠陥を指摘して、次のように宣言されたのです。 「わたしが、イスラエルやユダの人と、新しい契約を結ぶ日が来ます。 9 この契約は、彼らの先祖の手を引いて、エジプトの地から導き出した日に与えた古い契約とは、全く異なるものです。 彼らはそれを守らなかったので、わたしは無効にしなければなりませんでした。 10 しかし、ここにわたしは、イスラエルの人と新しい契約を結びます。 わたしはこのおきてを、彼らの心に刻みます。 そうすれば、たとい何も言わなくても、彼らに、わたしの思いが、はっきりわかるようになるのです。 心の中におきてがあるので、彼らは喜んで従うようになるでしょう。 こうして、わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となるのです。 11 その日にはだれも、友人や隣人、兄弟に向かって、『君も、主を知りなさい』と言う必要がなくなります。 なぜなら、どんな人でも、わたしを知るようになるからです。 12 わたしは、彼らの悪い行ないに対してあわれみを示し、その罪を二度と思い出しません。」 13 神様は古い契約に代えて、この新しい契約について語っておられます。 古いものは今や時代遅れとなり、全くいらなくなったからです。 —https://d1b84921e69nmq.cloudfront.net/32/32k/HEB/8-691a9261c3fec7f19a617ed47f32c227.mp3?version_id=83—

ヘブル人への手紙 9

1-2 ところで、神様と人間との間に交わされた最初の契約にも、礼拝についての規定があり、そのために建てられた神聖な幕屋がありました。 この幕屋には二つの部屋があり、第一の部屋は聖所と呼ばれ、金の燭台と、特別なきよいパンを載せる机が置いてありました。 3 聖所の奥に、幕で仕切られた第二の部屋があって、至聖所と呼ばれていました。 4 至聖所には、金の香壇と、全面を純金でおおわれた契約の箱がありました。 その箱には、「十戒」を記した二枚の石の板、マナを入れた金のつぼ、芽を出したアロンの杖が納めてあったのです。 5 この箱の上には、ケルビム〔神の栄光の守護者たち〕と呼ばれる御使いの像があって、黄金のふたをおおうように、大きな翼を広げていました。 このふたは、「恵みの座」と呼ばれます。 しかし、これ以上くわしく述べる必要はないでしょう。 6 さて、これらが全部ととのえられた上で、祭司は必要があれば第一の部屋に出入りして、務めを果たしました。 7 ただし、奥の第二の部屋には、大祭司だけが、年に一度だけ、一人で入って行きました。 そのとき彼は、血を携えて行かなければなりません。 その血は、彼と民全体があやまって犯した罪をきよめるための供え物として、「恵みの座」にふりかけられました。 8 聖霊様はこのことを通して、次のことを教えておられます。 古い制度のもとでは、第一の部屋と、それに代表される、しきたりがあるかぎり、一般の人たちは至聖所に入ることができない、ということです。 9 これは、現在の私たちへの大切な教訓となっています。 なぜなら、古い制度のもとでは、供え物といけにえが幾度ささげられても、それを携えて来る人たちの心まで、きよめることはできないからです。 10 つまり、古い制度は、飲み食いや、体の洗いきよめなどの、こまごました規則からなる、一定の儀式を取り扱っているにすぎないからです。 それでも人々は、キリスト様が、神様のもっとすぐれた新しい道をお示しになるまで、その規則に縛られていました。 11 キリスト様は、すでに私たちのものとなった、この格段にすぐれた制度の大祭司として、来られました。 そして、人間やこの世の手を借りる必要の全くない、天にある、さらに偉大で完全な幕屋に入られました。 12 しかも、ただ一度、血を携えて奥の至聖所に入り、それを「恵みの座」にふりかけました。 それも、やぎや子牛の血ではなく、自分の血をです。 この方は自らそうすることによって、私たちの永遠の救いを保証してくださいました。 13 もし、古い制度のもとで、雄牛ややぎの血、あるいは若い雌牛の灰が、人々の体を罪からきよめることができるとすれば、 14 ましてキリスト様の血は、どれほど確実に、私たちの心と生活を変えることでしょう。 キリストご自身のいけにえは、古い規則に縛られる悩みから、私たちを解放し、生ける神様にお仕えしたい気持ちに駆り立てるのです。 それは、不滅の方である聖霊様の助けによって、一つの罪も欠点もない完全なお方が、自分を喜んで神様にささげ、私たちの罪のために死んでくださったからです。 15 キリスト様は、この新しい契約を携えて来られました。 それで、神様に招かれる人はみな、約束されたすばらしい祝福に、いつまでもあずかることができるのです。 なぜなら、古い制度のもとで犯した罪の刑罰から救い出すために、キリスト様は死んでくださったからです。 16 さて、ある人が財産の相続人を指定し、遺言状を残して死んだとします。 しかしその被相続人の死が証明されなければ、だれもその財産に手出しできません。…

ヘブル人への手紙 10

1 ユダヤ人のおきてによる古い制度は、やがてキリスト様が与えてくださるもののすばらしさを、かすかに味わわせてくれるにすぎません。 いけにえは、年ごとに何度もくり返されましたが、その制度下にある人たちを救えませんでした。 2 もし救う力があるのなら、一度だけのいけにえで十分なはずであり、礼拝する人々はみなきよめられ、その罪意識も消えてしまったことでしょう。 3 ところが、事実は反対でした。 年ごとのいけにえは、人々の心をなごませるどころか、かえって、不従順と罪とを思い起こさせたのです。 4 雄牛とやぎの血では、実際に罪を取り除けないからです。 5 それゆえキリスト様は、この世に来られた時、次のように言われたのです。 「神よ。 雄牛や、やぎの血は、あなたの心にかないません。 それで、わたしに肉の体を与え、祭壇の上のいけにえとなさいました。 6 罪のためのささげ物として、あなたの前で殺されて焼かれる動物のいけにえでは、あなたは満足されませんでした。 7 そこでわたしは、『まさに、聖書に書いてあるとおり、わたしはあなたの御心を行ない、いのちを捨てるためにまいりました』と申し上げたのです。」 8 すなわち、キリスト様は、古い制度が要求する、さまざまのいけにえやささげ物では、神様は満足されない、と語ったあとで、 9 「わたしはいのちを捨てるために来ました」とつけ加えたのです。 キリスト様は、はるかにすぐれた制度を打ち立てるために、最初の制度を廃止されます。 10 この新しい計画にそって、ただ一度死なれ、それによって、私たちは罪を赦され、きよくされているのです。 11 古い契約のもとでは、祭司たちは毎日、祭壇にいけにえをささげますが、それらは、決して罪を取り除くことができません。 12 しかしキリスト様は、いつまでも有効な、ただ一つのいけにえとして、私たちの罪のために、自分を神様にささげてくださり、そのあと、最も名誉ある神様の右の座について、 13 敵が足の下に踏みつけられる、その日を待っておられます。 14 キリスト様は、この一度かぎりの行為によって、ご自分がきよめる人々をみな、永遠に、神様の目からも完全なものとしてくださったのです。 15…