ローマ人への手紙 8

1 こういうわけで、今やキリスト・イエスに属する人は、有罪の宣告を受けることがありません。 2 なぜなら、いのちを与える御霊の力〔この力を、キリスト・イエスは私に与えてくださいました〕が、罪と死の悪循環から解放してくれたからです。 3 神様のおきてを知っているだけでは、罪の支配から救い出されません。 私たちはそれを守ることもできないし、実際守ってもいないからです。 ところが、神様は私たちを救うために、別の計画を実行に移されました。 すなわち、神様のひとり息子を、私たちと同じ体を持つ者として〔ただ私たちのような罪の性質を持たない点では異なりますが〕この世にお遣わしになったのです。 そして、彼を私たちの罪のためのいけにえとして、私たちをがんじがらめにする罪の支配を、打ち破られたのです。 4 ですから、今や私たちは、聖霊様に従って歩むなら、神様のおきてに従えるのです。 そしてもはや、古い邪悪な性質の言いなりになることもありません。 5 低劣な性質の言いなりになっている人は、自分を喜ばせるためにだけ生きています。 しかし、聖霊様に従って歩む人は、神様をお喜ばせしようとしている自分に気づくのです。 6 聖霊様に従って歩むなら、いのちと平安が待っています。 しかし、古い性質に従って歩めば、死に行き着くのです。 7 古い罪の性質は、神様に敵対するからです。 古い性質が神様のおきてに従ったことは一度もなかったし、これからも決してありません。 8 ですから、なおも古い罪深い自我に支配されて、欲望に従い続ける者は、決して神様をお喜ばせできないわけです。 9 しかし、あなたがたはそうではありません。 もし神の御霊が、あなたがたのうちに住んでおられるなら、新しい性質に支配されているのです。 〔もしその人のうちにキリストの御霊が住んでおられないなら、その人はクリスチャンではありません。〕 10 ところで、キリスト様がうちに住んでおられるとしても、あなたがたの体は、やはり罪のために死にます。 しかし、あなたがたの霊は生きるのです。キリスト様があなたがたの霊を赦してくださったからです。 11 そして、もしイエス様を復活させた神の御霊が、あなたがたのうちに住んでおられるなら、神様は、この同じ聖霊様によって、死後も、あなたがたの滅ぶべき体を復活させてくださるのです。 12 ですから、愛する皆さん。 あなたがたの古い罪深い性質がどんなことを要求しても、それに応じる必要は全くありません。 13 もし古い罪深い性質に従い続けるなら、道に迷い、やがて滅びるしかありません。 しかし、もし聖霊様の力によって、その罪深い性質と、邪悪な行ないとを打ち砕くなら、あなたがたは生きるのです。 14 神の御霊によって導かれる者はだれでも、神様の子供だからです。 15 そこで私たちは、奴隷のように、いつもびくびく恐れる必要はありません。 神様の家族の中に、子供としてあたたかく迎え入れられたのですから、実の子供らしくふるまい、神様を「お父さん」と呼ぶべきです。…

ローマ人への手紙 9

1-3 私の同胞であるイスラエルの人々、同国人であるユダヤ人の皆さん。 あなたがたがキリスト様のおそばに来ることを、私はどんなに望んでいることでしょう。 昼も夜も、あなたがたのことで心は重く、悲しみのあまり、胸も張り裂けんばかりです。 あなたがたが救われるためなら、私は永遠にのろわれてもかまいません。 むしろ、のろわれたいくらいです。 口先だけでこう言っているのでないことは、キリスト様も聖霊様も知っておられます。 4 神様は実に多くのものを与えてくださいました。 それなのにあなたがたは、いっこうに神様に聞き従おうとしません。 神様はあなたがたを、ご自分の特別な民として選び出し、栄光に輝く雲によって導き、また、どんなにあなたがたを祝福したいと思っておられるかをお示しになりました。 さらに、日常生活のさまざまな規則も与えてくださいました。 おかげであなたがたは、神様が自分たちに望んでおられることを知ることができます。 神様はまた、あなたがたに神様を礼拝することを教え、数々のすばらしい約束を与えてくださいました。 5 あなたがたの先祖には、神様を信じる偉大な信仰の持ち主がいます。 キリストご自身も、人間としての出生についてだけ言えば、ユダヤ人であり、あなたがたの同胞だったのです。 このキリスト様こそ、今やすべてのものを支配しておられる方です。 神様を永遠にほめたたえましょう。 6 それでは、ユダヤ人に対する神様の約束は無効になったのでしょうか。 そんなことはありません。 〔神様の約束は、真の意味でのユダヤ人にだけ与えられているのです。〕 ユダヤ人に生まれついた者がみな、真の意味でのユダヤ人だとは限りません。 7 血筋の上でアブラハムの子孫だからと言って、真の意味でのアブラハムの子孫ではありません。 なぜなら、聖書に次のように書いてあるからです。アブラハムには、イサクのほかにも子供がいたが、神様の約束が適用されるのは、イサクとその子孫に対してだけであると。 8 つまり、アブラハムの子供が全部神様の子なのではなく、神様がアブラハムにお与えになった救いの約束を信じる人々だけが、神様の子供なのです。 9 神様はアブラハムに、「来年、わたしはあなたとサラに男の子を授けよう」と約束しておられました。 10-13 それから、何年か過ぎて、息子イサクは成長し、結婚しました。 その妻リベカがみごもって、ふたごを産もうとしている時、神様はリベカに、「ふたごのうち、初めに生まれる兄のエサウが、弟のヤコブに仕える者となる」とお告げになりました。 旧約聖書には、「わたしはエサウではなく、ヤコブを祝福する」と書いてあります。 神様がこう宣言されたのは、子供たちがまだ生まれてもおらず、まだ良いことも悪いこともしていなかった時のことです。 このことからもはっきりわかるように、神様は最初から決めておいたことを実行されたのです。 子供たちの行ないによってではなく、神様の意志と選びによって、すべてが決定されたのです。 14 では、神様は不公平なのでしょうか。 絶対にそんなことはありません。 15 神様はモーセにこう言われました。 「わたしは、自分が親切にしたい人に親切にし、情けをかけてやりたい人に情けをかける。」 16 したがって、神様の祝福は、だれかがそれを得ようと決心したからとか、そのために努力したからとかで、与えられるようなものではありません。 それは、神様が情けをかけたいと思う人に与えられるものなのです。 17 エジプトの王パロの場合は、この良い例です。 神様はパロにこう言われました。 「あなたにエジプトの国を与えたのは、わたしの恐るべき力をあなたに示すため、それによって、世界中の人々が、わたしの栄光ある名を耳にするためである。」 18 これでわかるように、神様は、ご自分のお考えで、ある人々には親切にし、また、ある人々を不従順な者とされるのです。 19 では、なぜ神様は人々の不従順をお責めになるのでしょう。 彼らは、神様のお考えどおりにしたのではありませんか。 20 そんなことを言ってはなりません。 神様を非難するあなたは、いったい何者なのですか。 造られた者が造った者に、「なぜ私をこのように造ったのですか」などと言ってよいでしょうか。…

ローマ人への手紙 10

1 愛する皆さん。 私が心から願い、祈り求めているのは、ユダヤ人が救われることです。 2 私は、彼らが神様の誉れをどんなに熱心に求めているか、よく知っています。 しかし、それは見当違いの熱心なのです。 3 というのも、彼らには、キリスト様が自分たちを神様の前に正しい者とするために死んでくださったことが、わかっていないからです。 そして、ユダヤ教のおきてや習慣を守ることによって、神様の祝福をいただける善良な人間になろうと、努力を重ねています。 しかし、神様はそんな方法でお救いになるのではありません。 4 彼らが、おきてを守ることによって手に入れようとしているものすべてを、キリスト様は、ご自分を信じる人々に与えてくださいます。 そのことを、彼らは悟っていないのです。 キリスト様は、おきてをすべて終結させたのです。 5 モーセは、「もし人が、非の打ちどころなく善良であり、一生涯、誘惑にも負けず、ただの一度も罪を犯さずにいられるなら、その時はじめて救われる」と書いています。 6 しかし、信仰を通して与えられる救いは、こう教えてくれます。 「あなたは、キリスト様を見つけようと天を捜し回る必要も、助けていただこうと引き降ろす必要もない。」 7 また、「キリスト様をもう一度復活させようと、死人の中を歩き回る必要もない。」 8 というのは、キリスト様を信じることによって与えられる救い〔私たちが宣べ伝えているのは、まさしくこの救いです〕は、すでに、私たちのすぐ手の届く所にあるからです。 実際それは、自分の心や口のように、すぐ近くにあるのです。 9 なぜなら、もし自分の口で「イエス・キリストは私の主です」と告白し、自分の心で、神様はイエス・キリストを死人の中から復活させてくださったと信じるなら、あなたは救われるからです。 10 人は、心で信じることによって、神様から正しい者とされ、その信仰を自分の口で告白することによって、救いを確実なものとするからです。 11 聖書は私たちに、「キリスト様を信じる者は、決して失望させられることがない」と教えています。 12 この点では、ユダヤ人もそれ以外の外国人も同じです。 同じ主がユダヤ人にとっても外国人にとっても主であり、求める者にはだれにでも、ご自分の宝を惜しみなく与えてくださるのです。 13 主の御名を呼び求める者は、だれでも救われるのです。 14 しかし、主を信じていなければ、どうして主に、「救ってください」と求めるでしょうか。 また、主のことを一度も聞いたことがなければ、どうして主を信じることができるでしょうか。 だれかが教えてくれなければ、どうして主のことを聞けるでしょうか。 15 また、だれかが遣わさなければ、どうして人々のところへ出かけて教える人が出るでしょうか。 旧約聖書に、「神との平和を宣べ伝え、良い知らせをもたらす人の足は、なんとうるわしいことか」とあるのは、まさにこのことです。 つまり、神様の良い知らせを伝える人は、なんと歓迎されることか、というのです。…

ローマ人への手紙 11

1 では神様はご自分の民であるユダヤ人を退け、見捨ててしまわれたのでしょうか。 とんでもない。 決してそんなことはありません。 この私もユダヤ人であり、アブラハムの子孫、ベニヤミン族の一人であることを、忘れないでください。 2-3 もちろん神様は、最初から選んだ自分の民を見捨てるようなことはなさいませんでした。 旧約聖書には何と書いてあるでしょうか。 預言者エリヤは、ユダヤ人を告発し、彼らが預言者を殺し、神様の祭壇をこわしたことを神様に申し上げています。 そして、「今なおあなた様を愛する者は、この国中で私一人です。 その私も、殺されそうなのです」と訴えました。 4 それに対して神様が何とお答えになったか、覚えていますか。「いや、あなただけではない。 わたしには、なおもわたしを愛し、偶像を拝んだことのない人が、ほかに七千人いる。」 5 今でも同じことが言えます。 ユダヤ人の全部が神様から離れ去ったわけではありません。 神様の恵みによって選ばれ、救われている人々が、少数ながらいるのです。 6 しかし、それは神様の恵みのおかげであり、彼らが善良だからではありません。 そうでなければ、ただであるはずの贈り物が、もはやただでなくなってしまいます。かせいで手に入れるのであれば、ただとは言えません。 7 さて、実情はこうです。 大部分のユダヤ人は、追い求めていた神様の恵みを、得ることができませんでした。 恵みを得たのは、神様に選ばれた少数の者だけでした。 ほかの人々は盲目にされてしまったのです。 8 旧約聖書に次のように記されているのは、このことなのです。 「神様は彼らを眠らせ、目と耳とをふさがれた。 それゆえ、キリスト様のことを語りかけても、 彼らにはわからない。 今日までその状態は続いている。」 9 ダビデ王も同じことを言っています。 「食卓のごちそうや、さまざまの祝福は 彼らのわなとなれ。 彼らを、 『神様とは万事うまくいっている』 という思いにさせよ。 これらの良いものがはね返って来て、 彼らの頭上に落ち、 当然の報いとして彼らを押しつぶすがいい。 10 彼らの目は見えなくなれ。 重荷を負わされて、…

ローマ人への手紙 12

1 愛する皆さん。 そういうわけですから、あなたがたにお願いします。 自分の体を神様にささげてください。 それを、神様に喜んでいただける、生きた、きよい供え物としてください。 神様がしてくださったことを思えば、これは、決してむりな注文ではないはずです。 2 世間の人々の生活態度や習慣をまねてはいけません。 むしろ、すること考えることすべての面で、生き生きとした、全く新しい別人となりなさい。 そうすれば、神の道がどんなに自分を満足させてくれるか、わかるようになります。 3 私は、神様の使者として、あなたがた一人一人に神様の警告を伝えます。 自分を正直に評価しなさい。 神様からどれだけの信仰を与えられているかを尺度にして、自分の値打をはかりなさい。 4-5 私たちの体に多くの器官があるのと同様、キリスト様の体にも、多くの器官があります。 私たちはみな、キリスト様の体の各器官です。キリスト様の体が完全になるには、私たちが必要です。 というのは、それぞれが異なった役目を果たすからです。 ですから、私たちは互いに依存し合っており、だれもが、ほかのすべての人を必要としているのです。 6 神様は一人一人に、何かすぐれた能力を授けてくださっています。 ですから、預言する能力を授かっているなら、できる時にはいつも――神様からのことばを受け取る信仰の力に応じて、できるだけ多くの機会に――預言しなさい。 7 ほかの人々に仕える能力を授かっているなら、快く仕えなさい。 教える立場にあるなら、りっぱに教えなさい。 8 説教をする人であれば、力強く、また、人の助けとなるように説教しなさい。 お金をたくさんいただいているなら、人助けのために、惜しみなく使いなさい。 管理者としての能力を与えられ、人々の仕事を監督する立場にあるなら、その責任を誠実に果たしなさい。 悲しんでいる者を慰める人は、クリスチャンとして、喜んでそうしなさい。 9 ただ見せかけだけで人を愛してはいけません。 真心から愛しなさい。 悪いことを憎み、良いことには味方しなさい。 10 兄弟のような愛情で互いに愛し合い、また、心から尊敬し合いなさい。 11 決して仕事を怠けず、熱心に主に仕えなさい。 12 あなたがたのために神様が計画しておられることすべてを喜びなさい。 困難の中でじっと耐え、常に祈りなさい。 13 クリスチャンが困っている時には、助けてあげなさい。 客を家に招いてもてなし、宿が必要なら泊めてあげるようにしなさい。 14 クリスチャンだからというので、だれかに危害を加えられても、のろってはいけません。 むしろ、神様がその人を祝福してくださるように祈ってあげなさい。 15 だれかがしあわせな思いで喜んでいる時には、いっしょに喜んであげなさい。 悲しんでいる人がいたら、いっしょに悲しんであげなさい。 16 互いに心を一つにし、楽しく働きなさい。 お高くとまってはいけません。 偉い人に取り入ろうとせず、かえって、平凡な普通の人々と喜んで交際しなさい。 何でも知っているなどと、思い上がってはいけません。…

ローマ人への手紙 13

1 上に立つ権威に従いなさい。 神様がお立てになった権威だからです。 神様によらない権威はどこにもありません。 2 ですから、国の法律に従わない者は、神様に従うことを拒んでいるのです。 その人は必ず罰せられます。 3 正しいことをしている人は、支配者を恐れません。 しかし、悪いことをしている人は、いつも支配者を恐れるのです。 ですから、びくびくしたくなければ、法律を守りなさい。 そうすれば、安心して過ごせます。 4 支配者は、あなたを助けるために、神様から遣わされているのです。 しかし、何か悪いことをしていれば、支配者はあなたを罰するでしょうから、当然、恐れなければなりません。 そのためにこそ、彼は神様から遣わされているのです。 5 法律に従うには、二つの理由があります。 第一に、罰を受けないためであり、第二に、それを守るべきだとわかっているからです。 6 同じ理由で、税金も納めなさい。 政府の役人が国民のために、神様から与えられた仕事を続けるには、給料が必要だからです。 7 支払うべきものは、だれにでも支払いなさい。 税金や輸入税をすすんで納め、上に立つ人々に従い、敬うべき人を敬い、重んずべき人を重んじなさい。 8 借りがあれば、全部返しなさい。 ただし、他の人を愛するという「借り」だけは別です。 その「借り」だけは、いつまでも返し続けなさい。 というのは、人を愛することは、神様のすべてのおきて、すべての要求にかなうことだからです。 9 自分を愛するように隣人を愛していれば、その人を傷つけたり、だましたり、殺したり、その人のものを盗んだりしたいとは思わないでしょう。またその人の妻と罪を犯すとか、その人のものを欲しがるとかいった、「十戒」で禁じられていることは、何一つしないでしょう。 このように、十戒はすべて、「自分を愛するように、あなたの隣人を愛しなさい」という一つの戒めに含まれるのです。 10 愛はだれにも悪を行ないません。 だからこそ、愛は神様の要求をすべて完全に満たすのです。 愛こそ、あなたがたに必要なただ一つのおきてです。 11 正しい生活をしなければならない、もう一つの理由があります。 すなわち、今や終末に近づいており、時はどんどん過ぎていることに、あなたがたが気づいているからです。 目を覚ましなさい。 初め信じた時より、今はいっそう、主の来られる時が近いからです。 12-13 夜はふけ、昼がすぐそこまで近づいています。 ですから、暗やみに属する悪い行ないを捨てて、昼間生きるため、正しい生活という武具で身をかためなさい。 あなたがたの行為は正しいと、だれからも認められるよう、何をするにも、りっぱに、誠実にふるまいなさい。 どんちゃん騒ぎをしたり、酔っぱらったり、姦淫したり、肉欲にふけったり、争ったり、ねたんだりして時間を浪費してはなりません。 14 当然なすべき正しい生活ができるように、主イエス・キリストに助けを求めなさい。 悪を楽しむような計画を立ててはいけません。 —https://d1b84921e69nmq.cloudfront.net/32/32k/ROM/13-8e5d8906f2ded3e0be76662f64f2108e.mp3?version_id=83—

ローマ人への手紙 14

1 仲間に加わりたいという人がいたら、たとい信仰の弱い人であっても、あたたかく迎え入れなさい。 事の良し悪しについて考えが違うからといって、批判してはいけません。 2 たとえば、偶像に供えられた肉を食べてもよいかどうかなどと、議論してはいけません。あなたがたは、偶像に供えられた肉を食べても別に悪くはない、と信じているかもしれません。 しかし、ほかの人たちの信仰は、もっと弱いのです。 彼らは、偶像に供えられた肉を食べるのは悪いとして、全く肉なしですませ、肉類よりむしろ野菜を食べるほうがよいと思っています。 3 肉を食べてもよいと思っている人は、食べようとしない人を見下してはいけません。 また、食べようとしない人は、食べる人を非難してはいけません。 神様はそのどちらをも受け入れて、自分の子供としてくださったからです。 4 どちらも神様に仕えているのであって、あなたに仕えているわけではありません。 神様に対して責任を負うのであって、あなたに責任を負うのではありません。 正しいか、まちがっているかは、神様がその人に教えてくださるはずです。 しかも神様は、その人が正しく行動できるように助けることがおできになります。 5 ある人は、クリスチャンも、神様を礼拝する特別な日として、ユダヤ教の祝祭日を守るべきだ、と考えています。 しかし、他の人は、どの日もみな同様に神様のものだから、いちいちそんな面倒なことをするのは、まちがっているし、ばからしい、と言います。 こうした問題については、一人一人が自分で判断しなければなりません。 6 もし主を礼拝するために特別な日を守っているなら、主をあがめようとしてすることなのですから、良いことなのです。 偶像に供えた肉を食べる人についても、同じことが言えます。 彼はその肉のことで主に感謝しているのですから、正しいのです。 そんな肉には触れようともしない人もまた、主に喜んでいただこうと切に願うからそうするのであって、彼も感謝しているのです。 7 私たちには、自分の生死をかってに決める権利がありません。 8 生きるにしても死ぬにしても、主に従うのです。 いずれにせよ、私たちは主のものです。 9 キリスト様の死と復活の目的は、私たちが生きている時も死んでいる時も、キリスト様がいつも私たちの主となられることだったのです。 10 あなたがたには、自分の兄弟(信仰を同じくする人)を批判したり、見下したりする資格はありません。 だれもが、神様のさばきの座の前に立つことを、忘れてはなりません。 11 次のように書いてあるとおりです。 「主は言われる。 わたしは生きている。 すべてのひざは、わたしの前にかがめられ、 すべての舌は、神に告白する。」 12 そうです。 一人一人が、神様に申し開きをすることになるのです。 13 ですから、これからはもう、批判し合ってはいけません。 むしろ、人をつまずかせないように生活しようと心がけなさい。 兄弟が「悪いことだ」と信じていることを目の前でしてみせて、彼をつまずかせるようなことは、絶対にいけません。 14…

ローマ人への手紙 15

1-2 何かをする場合、別に主に対して何の支障もないとわかっていても、ただ自分の喜びのためにするのはいけません。 それは悪いことではないかと、疑問や不安をいだく人のことを思いやり、そういう弱い人々の「重荷」を軽くしてやりなさい。 自分ではなく、人を喜ばせましょう。 そして、人の益になることをし、その人が主にあって成長できるよう助けましょう。 3 キリスト様も、自分を喜ばせようとはなさいませんでした。 「彼が来られたのは、実に、敵対する者たちの侮辱を受けて苦しむためであった」と、詩篇の作者が言っているとおりです。 4 ずっと昔に旧約聖書に書かれたこのことばは、私たちに忍耐を教え、励ますためのものです。 また、神様が死と罪の力とを打ち破ってくださる時を、私たちが期待にあふれて待ち望むためのものです。 5 どうか、不動の忍耐力と励ましを与える神様が、あなたがたが一つ思いとなって仲よく暮らしてゆけるよう、助けてくださいますように。 一人一人が互いに、キリスト様の、他の人に対する態度を見ならうことができますように。 6 そうしてはじめて、私たちはみな、主イエス・キリストの父なる神をほめたたえ、声を合わせて賛美できるのです。 7 そういうわけですから、キリスト様があなたがたをあたたかく受け入れてくださったように、あなたがたもお互い同士、あたたかく教会に受け入れ合いなさい。 そうすれば、神様があがめられるのです。 8 イエス・キリストが来られたのは、神様がご自分の約束に対して誠実な方であることを示すため、またユダヤ人を助けるためであったことを、思い出してください。 9 それはまた、外国人も救われて、自分たちに対する神様のあわれみのゆえに神様をほめたたえるためでもあったことを、思い出してください。 このことを、詩篇の作者は次のように書いています。 「私は外国人の中で、あなたを賛美し、 あなたの御名をほめ歌おう。」 10 また、ほかの個所にはこうあります。 「外国人よ。 主の民であるユダヤ人と共に喜べ。」 11 さらにまた、 「外国人よ。 主をほめたたえよ。 すべての人よ。 主をほめたたえよ。」 12 また、預言者イザヤはこう言っています。 「エッサイの家系に一人の世継ぎが生まれる。 その方は外国人を治める王となる。 彼らは、ただこの方だけに望みをかける。」…

ローマ人への手紙 16

1 ケンクレヤ町出身の、愛するクリスチャン婦人フィベが、そのうちあなたがたを訪れるでしょう。 彼女は教会で熱心に働いてきた人です。 2 どうか、主にある姉妹として、あたたかいクリスチャンの愛で歓迎してあげてください。 できることは何でもして、助けてあげてください。 この人はこれまで、私も含めて、多くの困っている人を助けてくれたのです。 3 プリスカとアクラによろしく。 この夫婦は、私の同労者として、キリスト・イエスのために働いてきました。 4 事実、二人は、いのちをかけて私を守ってくれたのです。感謝しているのは、私だけではありません。 どの外国人教会でも、この二人には感謝しています。 5 また、礼拝のために二人の家に集まっている人々にも、よろしく伝えてください。 私の親しい友であるエパネトによろしく。 アジヤで真っ先にクリスチャンになった人です。 6 骨身を惜しまず働き、助けてくれたマリヤにもよろしく。 7 それから、私の親類で、私と共に投獄されたこともあるアンドロニコとユニアスがそちらにいます。 彼らは使徒たちにも尊敬されており、私よりも先にクリスチャンになった人たちです。 どうぞ、この二人にもよろしく伝えてください。 8 神様の子供の一人として私が愛しているアムプリアトによろしく。 9 また、私の同労者ウルバノと、愛するスタキスとによろしく。 10 それに、アペレがいます。 主によって認められているりっぱな人です。 よろしく伝えてください。 またアリストブロの家で働いている人たちによろしく。 11 私の親類ヘロデオンによろしく。 ナルキソの家で働いているクリスチャン奴隷の人たちによろしく。 12 主のために働いているツルパナとツルポサによろしく。 また、主のために大変な苦労をした愛するペルシスによろしく。 13 主がご自分のものとしてお選びになったルポスによろしく。 また愛する彼の母上にもよろしく。 彼女は、私にとっても母でした。 14 どうか、アスンクリト、フレゴン、ヘルメス、パトロバ、ヘルマス、いっしょにいる他の兄弟たちによろしく伝えてください。 15 フィロロゴ、ユリヤ、ネレオとその姉妹、オルンパ、および、いっしょにいるすべてのクリスチャンに、私の愛をお伝えください。…

コリント人への第一の手紙 1

1 神様に選ばれて、キリスト・イエスを宣べ伝える伝道者となったパウロと、信仰の友ソステネから、 2 神の民として招かれ、キリスト・イエスによって神様に受け入れられる者とされた、コリント教会の皆さん、および主イエス・キリストの御名を至る所で呼び求めているクリスチャンの方々へ。 この主は、私たちの主であると共に、すべての人の主です。 3 どうか、父なる神と主イエス・キリストが、あなたがたをあふれるほど祝福し、すばらしい平安を与えてくださいますように。 4 神様があなたがたにお与えになったすばらしい贈り物を思う時、感謝せずにはいられません。 今やあなたがたは、キリスト様のものとなったのです。 5 キリスト様は、あなたがたの全生活を充実させてくださり、キリスト様について大胆に語る力や、真理を十分に理解する力を与えてくださいました。 6 以前、私が、キリスト様はきっとそうしてくださる、と話しておいたとおりでしょう。 7 今やあなたがたは、あらゆる恵みと祝福とを手にしたのです。 主イエス・キリストのおいでを待ち望んでいるこの時、主のお心にかなったことをするのに必要な、あらゆる霊の賜物と力とが、あなたがたには備わっています。 8 そして、主が再び来られるその日に、あなたがたが罪も欠点もない者と認められるように、主は最後まで責任をもって守ってくださいます。 9 この神様の約束は確かです。 神様はいつでも、口にしたことばをそのとおり実行なさるからです。 この神様があなたがたを、神の子、すなわち主イエス・キリストとのすばらしい交わりに、招き入れてくださったのです。 10 しかし、愛する皆さん、私は主イエス・キリストの御名によってお願いします。 仲間同士の言い争いはやめなさい。 教会の中で仲間割れなどしないよう、真の一致を保ってください。 同じ考え、同じ目的で結ばれて、一つ心になってほしいのです。 11 実は、クロエの家の者が知らせてくれたのですが、愛する皆さん、あなたがたの間には、口論や反目があるそうではありませんか。 12 ある人は「私はパウロの弟子だ」と言い、また、ある人は「私はアポロの弟子だ」とか「私はペテロの弟子だ」と言い、また、ある人は「自分たちだけがキリスト様の真の弟子だ」と言っているそうですね。 13 そのように言い争って、キリスト様を小間切れにするつもりですか。 しかし、このパウロが、あなたがたの罪のために死にましたか。 あなたがたのだれが、私の名によってバプテスマ(洗礼)を受けたでしょうか。 14 いま私は、あなたがたのところで、クリスポとガイオのほかには、だれにもバプテスマを授けなかったことを、心から感謝しています。…