コリント人への第一の手紙 12

1 さて、皆さん。 聖霊様があなたがたに授けてくださった特別な才能について、書きたいと思います。 この点で、少しの誤解もないようにと願うからです。 2 覚えがあると思いますが、あなたがたはクリスチャンになる前、ひと言も口がきけない偶像のもとへ、あちこち出かけたものでした。 3 ところが、いま接している人たちは、自分は神の御霊から託されたことばを語っている、と主張する人たちです。 その人たちがほんとうに神様に導かれているのか、それとも、ただそんなふりをしているだけか、どのようにして見分ければよいでしょう。 そのためには、次の点に注意しなさい。 すなわち、神の御霊の力を受けている者はだれも、イエスをのろうことはできないし、また、聖霊様の助けがなければ、だれも、ほんとうの意味で、「イエスは主です」と告白できない、という点です。 4 ところで、神様は私たちに、いろいろな種類の特別な才能を与えてくださっていますが、みな、聖霊様から出たものです。 5 神様への奉仕はいろいろですが、私たちは同一の主に仕えているのです。 6 神様は私たちの生活の中で、いろいろな方法で働きかけてくださいます。 しかし、神様のものとされた私たちの中で、また私たちを通してお働きになるのは、ただ一人の神様です。 7 聖霊様は、教会全体の利益のために、私たちを通して神様の力を現わしてくださるのです。 8 御霊様はある人に、賢明な助言者としての才能を与えておられます。 またある人には、研究し、人に教える点ですぐれた才能を与えておられます。 9 また、ある人には特別な信仰を与え、ある人には病気を治す力を与えておられます。 10 そのほか、奇蹟を行なう力が与えられている人もあれば、預言や説教をする力をいただいている人もいます。 また御霊様は、ある人には、「自分は神のことばを与えられている」と主張する人が、ほんとうに神の御霊によって語っているかどうかを見分ける力を、与えておられます。 そしてさらに、ある人には、異言〔今まで知らなかったことば〕で語る能力を与え、同時に、別の人にその異言を解き明かす能力を、授けておられるのです。 11 こうしたすべての賜物と力は、同一の聖霊様が思いのままに、私たちに与えてくださるのです。 12 人体には多くの部分がありますが、その各部分が結び合わされて、一つの体が成り立っています。 キリスト様の「体」についても、同じことが言えます。 13 私たちはそれぞれ、キリスト様の体の一部です。 ある者はユダヤ人、ある者は外国人、ある者は奴隷、ある者は自由人です。 しかし、聖霊様は、私たちをみな結び合わせて、一体としてくださいました。 私たちは、ただ一人の御霊様によって、キリスト様の体に結び合わされるバプテスマ(洗礼)を受け、みな、同じ神の霊を与えられているのです。 14 確かに、体はただ一つの部分からではなく、多くの部分から成り立っています。 15 たとい足が「私は手ではないから、体の一部ではない」と言いはったところで、体の一部でなくなるわけではありません。…

コリント人への第一の手紙 13

1 たとい私に、異言(今まで知らなかったことば)で話す才能があり、また、天と地のあらゆることばを話すことができても、人を愛していなければ、ただの騒音にすぎません。 2 同様に、預言をする才能があり、将来の出来事を予知し、あらゆることに通じていても、人を愛さないなら、何の役に立つでしょう。 また、山を動かすほどの強い信仰を持っていても、愛がないなら、私には何の値打もないのです。 3 そして、自分の財産を全部、貧しい人たちに分け与えても、また、良い知らせを宣べ伝えるために火あぶりの刑に甘んじても、愛がなければ、何の値打もありません。 4 愛はきわめて忍耐強く、親切です。 愛は決してねたみません。 また、決して自慢せず、高慢になりません。 5 決して思い上がらず、自分の利益を求めず、無礼なふるまいをしません。 愛は自分のやり方を押し通そうとはしません。 また、いらいらせず、腹を立てません。 人に恨みをいだかず、人から悪いことをされても、気にしません。 6 決して不正を喜ばず、真理が勝つ時は、いつも喜びます。 7 だれかを愛する人は、どんな犠牲をはらっても、誠実であろうとするでしょう。 また、いつもその人を信じ、その人に最善を期待し、いのちがけで、その人を守り抜くでしょう。 8 神様からいただいた特別の賜物や力は、いつかは尽きるものです。 しかし、愛は永遠に続きます。 預言すること、人の知らないことばで語ること、特別な知識などの賜物は、やがて消え去ります。 9 たとい、特別な才能が与えられていても、いま私たちの知っていることは、ほんの一部にすぎません。 また、最高の才能に恵まれた人の説教でも、貧弱なものです。 10 しかし、私たちが完全無欠な存在とされる時、これら不完全な賜物は不要になり、消え去ってしまうのです。 11 それは、こんなことから説明できるでしょう。 子供の時の私は、子供のように話し、子供のように考え、子供のように判断していました。 しかし、大人になると、考え方も成長して、子供時代とは違い、今では子供っぽいこととは縁を切りました。 12 同様に、今の私たちの神様に対する知識や理解は、そまつな鏡にぼんやり映る姿のようなものです。 しかし、やがていつかは、面と向かって、神様の完全な姿を見るのです。 いま私が知っていることはみな、おぼろげで、ぼんやりしています。 しかしその時には、いま神様が私の心を見通しておられるのと同様、すべてが、はっきりわかるでしょう。 13 いつまでも残るものが三つあります。 信仰と希望と愛です。 その中で一番すぐれたものは愛です。 —https://d1b84921e69nmq.cloudfront.net/32/32k/1CO/13-cde2d0700cb9e5950e07fc54dbb4fd22.mp3?version_id=83—

コリント人への第一の手紙 14

1 愛を、最高の目標にしなさい。 それと共に、聖霊様が与えてくださる特別な才能、特に、神様のことばを伝える預言の賜物を求めなさい。 2 しかし、もしあなたが、異言を語る〔すなわち、今まで知らなかったことばで話す〕場合、それは神様への語りかけであって、人々へではありません。 人々には、そのことばが理解できないからです。 あなたは、御霊の力によって語るのですが、それはみな、秘密の事柄なのです。 3 しかし、神様からのことばを語る者は、人々を励まし、慰め、人々の主にある成長を助けます。 4 ですから、「異言を語る」者は、自分の信仰を成長させますが、神様のことばを語って預言する者は、教会全体が幸福になることと、きよくなることとを助けるのです。 5 もちろん私は、あなたがたがみな、「異言を語る」才能を与えられることを望んでいます。 しかし、それにもまして、神様のことばを語って預言してくれることを望みます。 なぜなら、聞いたこともないことばで話すよりも、預言することのほうが、はるかにまさっており、有益だからです。――もっとも、異言のあとで、その内容をわかるように説明できるなら、それも、少しは役立つでしょう。 6 愛する皆さん。 私があなたがたのところで、異言を語ったとしても、どうしてプラスになるでしょう。 しかし、もし神様から与えられたひらめきを語り明かし、また、いま私にわかっていることや、これから起こることや、神のことばの真理を語るなら、それは、あなたがたにとって必要かつ有意義なことです。 7 異言で語るより、はっきりした、わかりやすい国語で語るほうがよいことは、笛やハープのような楽器のことを考えてみても、わかります。 はっきりした音色が出なければ、どんな曲を演奏しているのか、だれにもわからないからです。 8 もし軍隊のラッパ手が、はっきりした音を出さなければ、それが戦闘の合図であっても、兵士にはわかりません。 9 相手に理解できないことばで話しかける場合も、同様です。 まるで、だれもいない空間に、話しかけるようなものです。 10 世界には、非常に多くのことばがありますが、どのことばも、それがわかる人にはすばらしいものです。 11 ところが私には、ちんぷんかんぷんなのです。 そのようなことばで話しかけてくる人と私とは、お互いに外国人同士ということになります。 12 あなたがたは、聖霊様が下さる特別の賜物を、熱心に求めているのですから、教会全体の益となるような、最善のものを求めなさい。 13 異言で話す才能を与えられている人は、そのことばを自分で理解する力も与えられるように祈りなさい。 そうすれば、あとで、人々にわかりやすく説明できます。 14 もし私が、自分でも理解できないことばで祈るなら、霊では祈っていても、自分では何を祈っているのかわかりません。 15 では、どうすればよいのでしょう。 私は二通りのことをします。 異言で祈り、また、だれにでもわかる普通のことばでも祈るのです。 異言で賛美し、また、自分にもわかるように、普通のことばでも賛美するのです。…

コリント人への第一の手紙 15

1 さて、皆さん、良い知らせとはほんとうは何なのか、思い出してほしいのです。 というのも、それは少しも変質していず、以前あなたがたに宣べ伝えた良い知らせと同じものだからです。 あなたがたは、それを喜んで受け入れました。 そして今に至っています。 信仰が、このすばらしい知らせにしっかり根ざしているからです。 2 もし初めにいい加減な気持ちでその良い知らせを信じたのでなく、今もなお、それを堅く信じているのなら、この良い知らせは、あなたがたを救ってくれるのです。 3 私はまず第一に、かつて自分も知らされた、次のことを伝えました。 すなわち、キリスト様は、聖書に記されているとおり、私たちの罪のために死なれ、 4 葬られたこと、そして預言者たちの予告どおりに、三日目に墓の中から復活されたことです。 5 キリスト様はペテロに姿を現わし、そのあと「十二弟子」の残りの者の前にも立たれました。 6 そしてある時には、五百人以上のクリスチャンの前にも、姿をお見せになったのです。 その中の何人かはもう死にましたが、大部分は今も健在です。 7 それから、キリスト様はヤコブに、そして使徒たち全員に現われました。 8 そして最後に、未熟児みたいな私の前にも現われてくださったのです。 9 私は、使徒の中では一番ちっぽけな者であり、使徒と呼ばれる資格さえない者です。 神の教会の迫害者だったのですから。 10 しかし、今の私があるのは、ただひとえに、あふれるほどに注がれた神様の恵みと、あわれみとのおかげです。 この恵みとあわれみは、むだではありませんでした。 なぜなら、私はほかのどの使徒たちよりも、よく働いてきたからです。 とはいえ、実際に働いたのは私ではありません。 神様が私の内部で働き、祝福してくださったのです。 11 一番よく働いたのが、私であろうとだれであろうと、そんなことは問題ではありません。 大切なのは、私たちが良い知らせを宣べ伝え、あなたがたが、それを信じたという事実です。 12 しかし、これだけは言わせてください。 私たちが伝えたとおり、あなたがたが、キリスト様の死からの復活を信じているのなら、なぜ、「死んだ者は二度と生き返らない」と言ったりする人が出るのですか。 13 もし死人の復活がないなら、キリスト様は、今も死んだままのはずです。 14 もしそれが事実なら、私たちが宣べ伝えていることはすべてむだであり、神様に対するあなたがたの信頼もむなしく、価値のない、絶望的なものとなるのです。 15 そして、使徒はみな、うそつきということになります。 なぜなら、「神様はキリスト様を、墓から復活させられた」という私たちの主張は、もし死人の復活がないのなら、当然、うそになるからです。…

コリント人への第一の手紙 16

1 さて、エルサレムのクリスチャンあての献金については、次のようにお願いしたいのです。 〔この件に関しては、ガラテヤの諸教会にも同様に通知しておきました。〕 2 日曜日ごとに、めいめいが、前の週の収入の一部を別にしておいて、この献金にあてなさい。 その額は、主の助けによって得た収入に応じて決めなさい。 私がそちらに行ってから、一度に全部集めることなど、ないようにしてください。 3 私が着いたら、使者として信頼できる人たちを、あなたがたに選んでもらい、手紙をことづけて、エルサレムに派遣し、その愛の贈り物を届けさせましょう。 4 私も同行するほうがよければ、そうしましょう。 5 私は、まずマケドニヤに行ってから、あなたがたを訪問する予定です。 マケドニヤには、ちょっと立ち寄るだけです。 6 しかし、あなたがたのところでの滞在は、かなり長びくでしょう。 もしかしたら、ひと冬を過ごすかもしれません。 そうなれば、あなたがたに送られて、次の目的地へ向かえます。 7 今は、旅の途中でちょっとだけ会い、すぐにいとまごいなど、したくないのです。 主のお許しがあれば、しばらく滞在したいと思っています。 8 ただ、五旬節(ユダヤ教の祭りの一つ)までは、エペソを離れません。 9 というのは、ここで、良い知らせを宣べ伝えるための門戸が、広く開放されているからです。 しかし、それだけにまた、敵対する者も多いのですが……。 10 テモテが着いたら、あたたかく迎えてやってください。 私と同様、主の仕事に励んでいる人です。 11 彼が若いからといって、見下したり、無視したりしないでください。 そちらでのすばらしい体験を胸に、喜び勇んで、彼が帰って来られるようにしてください。 私は、彼の一行の帰りを、首を長くして待っています。 12 私はアポロにも、ほかの人たちと共にコリントへ行くよう、しきりに勧めたのですが、彼には、今、それが神様の望んでおられることだとは、どうしても思えないようです。 あとで機会があれば、行くでしょう。 13 目を覚まして、霊的な危険に身構えていなさい。 いつも、主に忠実でありなさい。 男らしく行動し、強くありなさい。 14 すべての点で、親切と愛から出た行動をとりなさい。 15 ステパナとその一家を覚えているでしょう。 ギリシヤで最初にクリスチャンになった人たちです。 今、あちこちのクリスチャンのために、熱心に援助や奉仕の活動をしています。…

コリント人への第二の手紙 1

1 神様からキリスト・イエスの使者に任命されたパウロと、信仰の友テモテから、コリントおよびギリシヤ全土に住むすべてのクリスチャンへ。 2 どうか、私たちの父なる神と主イエス・キリストが、あなたがた一人一人に、あふれるほどの祝福と平安とを、注いでくださいますように。 3-4 私たちの神様は、なんとすばらしいお方でしょう。 神様は、主イエス・キリストの父であり、あらゆる慈愛の源です。 そして、私たちが苦しみや困難にあえいでいる時、すばらしい慰めと励ましを与えてくださるお方です。 どうしてでしょう。 それは、苦しみの中にあって、同情と励ましを必要としている人々に、私たちも、神様から受ける助けと慰めを与えることができるためです。 5 私たちがキリスト様のために苦しめば苦しむほど、慰めと励ましが、もっと豊かにキリスト様から与えられるという事実、これは確かです。 6-7 私たちが大きな苦しみに会うのも、あなたがたが神様の慰めと救いを受けるためです。 現に、苦しんでいる私たちを、神様は慰めてくださいました。 それはまた、あなたがたのためでもあるのです。 すなわち、あなたがたが同じような苦しい境遇に立たされた時、神様の慰めが、どれほどやさしいものであるかを、私たちの体験から知るためです。 神様は必ず、苦しみに耐え抜く力を与えてくださるのです。 8 愛する皆さん。 私たちがアジヤでなめた苦しみについて、ぜひ知っていただきたいと思います。 非常に激しい迫害を受け、打ちのめされて、もうこれ以上生き延びるのはむりかと思いました。 9 死を覚悟し、自分の無力さを痛いほど思い知らされました。 しかし、それがよかったのです。 というのは、そんな状態の中で、何もかも神様にお任せしたからです。 救い出すことができるのは、神様だけです。 死人を復活させることさえ、できるお方なのですから。 10 やはり、神様は私たちを助け、恐ろしい死の危険から救い出してくださいました。 そしてこれからも、何度でも、救い出してくださるに違いありません。 11 あなたがたもまた、祈りによって私たちを助けてください。 それは、私たちの安全を願う、その祈りに、神様がはっきりと答えてくださるのを見て、あなたがたが、もっともっと感謝と賛美をささげるようになるためです。 12 私たちは、どのような場合にも、自分の知恵に頼らず、助けてくださる主に静かに信頼し、きよさと誠実さをもって行動してきました。 特にあなたがたには、そのようにふるまってきました。 胸を張ってそう言えるのを、とてもうれしく思います。 13-14 私の手紙は、単刀直入に、しかも、真心をこめて書いたものです。 どちらにも取れるあいまいなことは、決して書いていません。 それで、たとい今は、私についてあまりよく知らないあなたがたでも〔もっとも、いつかはよく知っていただきたいのです〕、私を受け入れ、私を誇りとしてくださるよう望みます。 もちろん、今も、ある程度そうしてくれていますが。 ちょうど、主イエスがもう一度帰って来られる日に、私があなたがたを誇りにするのと同じようにです。 15-16 あなたがたの私に対する理解と信頼を確信したので、次のような計画を立てました。 すなわち、マケドニヤへ向かう途中、まずコリントであなたがたに会い、また帰りにも立ち寄るという計画でした。 そうすれば、あなたがたは二倍の祝福を受けることができ、私も、あなたがたに送られて、ユダヤへ行けるからです。 17 では、なぜ計画を変更したのか、と尋ねるかもしれません。 その決心が、まだ固まっていなかったからでしょうか。 それとも、私も世間の人のように、ほんとうは「いいえ」のつもりで「はい」と言ったりしたのでしょうか。 18 絶対にそんなことはありません。 私がそんな人間でないことは、神様の真実さと同様に確かです。 私の「はい」は、ほんとうに「はい」なのです。 19 テモテとシルワノと私は、神の子キリスト・イエスについて語ってきました。 この方は、「いいえ」の意味で「はい」と言われる方ではありません。 いつも、ことばどおり実行なさいます。…

コリント人への第二の手紙 2

1 私は、「コリントの人々を苦しめるような訪問は、二度とすまい」と、自分に言い聞かせました。 2 もし私があなたがたを悲しませているとしたら、どうして喜べるでしょう。 私を喜ばせることができるのは、あなたがただけです。 それなのに、私があなたがたを苦しませているとしたら、どうして喜ばせてもらえるでしょう。 3 前の手紙であのように書いたのは、私が行く前に、あなたがたの手で、事を処理してもらいたかったからです。 そうすれば、会って、一番喜ばせてくれるはずの人たちから、悲しい思いをさせられなくてすむでしょう。 あなたがたの喜びと私の喜びとは、切っても切れない関係なのですから。 私が喜び勇んで行くのでなければ、あなたがたも、幸福な気持ちにはなれません。 4 どんなにつらい思いであの手紙をしたためたことか! 胸も張り裂けんばかりの思いで、正直なところ、泣いてしまったのです。 傷つけるつもりなどさらさらなく、あなたがたをどれほど愛しているか、また、あなたがたの間で起こった問題をどんなに心にかけているか、ぜひ知ってもらいたかったのです。 5-6 覚えておいてください。 あの手紙に書いた、今度の事件の張本人は、私を悲しませたというより、あなたがた全体を悲しませたのです。――もっとも、私もずいぶん悲しい思いをしましたが。 私はその人に対して、必要以上にきびしい態度をとりたくありません。彼は、みんなから責められて、もう十分罰を受けています。 7 今はむしろ、赦し、慰めてやりなさい。 そうしないと、あまりの悲しみと絶望に打ちひしがれて、立ち直れなくなるかもしれません。 8 ですから、あなたがたが今もってどんなに深くその人を愛しているか、どうぞ示してやってください。 9 私の手紙は、あなたがたが、どのくらい私の指示に従ってくれるかを、確かめるためのものでした。 10 あなたがたがだれかを赦すなら、私もその人を赦します。 何であれ、私が赦したのは、キリスト様の権威によって、あなたがたのために赦したのです。 11 赦さなければならない理由は、ほかにもあります。 それは、サタンにあざむかれないためです。 私たちは、サタンのたくらみを知っているのですから。 12 さて、私がトロアスの町まで行った時、主は、良い知らせを宣べ伝える、絶好の機会を与えてくださいました。 13 ところが、そこでは、信仰の友である、愛するテトスに会えなかったので、彼がどこにいるのか、その身に何か起こったのではないかと、気がかりでなりませんでした。 そんなわけで、何とかしてテトスに会おうと、人々に別れを告げ、まっすぐマケドニヤに向かったのです。 14 しかし、神様に感謝します。 神様は、キリスト様のお働きのゆえに、私たちを、勝利の行進に加えてくださいました。 その目的は、私たちがどこにいようと、今、神様が私たちを通して、主のことを他の人々に告げ知らせ、良い知らせを、かぐわしい香水のように、あたりに広めてくださることです。 15 神様に関するかぎり、私たちの生活には、すばらしい、かぐわしい香りが漂っています。 それは、私たちのうちにあるキリスト様の香りであって、回りの救われている人々にも、救われていない人々にも、一つの香りなのです。 16 救われていない人々にとっては、私たちは死と滅びの恐れに満ちた香りのように思われます。 けれども、キリスト様を知る人々にとっては、いのちを与える香りなのです。 しかし、このような任務にふさわしい者とは、いったいどんな人でしょう。…

コリント人への第二の手紙 3

1 私は今、偽教師のまねをして自己推薦を始めているのでしょうか。 あなたがたの身近にいる偽教師たちは、自分で自分を推薦したり、あなたがたあての長い推薦状を持って行ったりしなければならないような人たちです。 しかし私は、だれからも推薦状を書いてもらう必要などないと思っていますが、いかがでしょう。 また、あなたがたからの推薦状も必要ではありません。 2 私に必要な推薦状は、あなたがた自身です。 あなたがたの心の、そのすばらしい変わりようを見れば、だれにも、私たちの良い働きは一目瞭然です。 3 あなたがたは、私たちが書いたキリスト様からの手紙であることが、だれにもわかります。 それは、ペンとインキで書かれたのではなく、生きておられる神の御霊によって書かれたものです。 石の板にではなく、人の心に刻み込まれた手紙です。 4 大胆にこのような自慢をするのは、キリスト様を通して、心から神様に信頼しているからに、ほかなりません。 すなわち、神様は必ず、私たちのことばが真実となるよう助けてくださる、と信じているからです。 5 不変の価値があることを、自分の力でできる、と考えているからではありません。 私たちの力も成功も、ただ神様から来るのです。 6 神様は、人々を救う新しい契約について、人々に知らせることができるように、助けてくださいました。 私たちは、「神様のおきてを全部守れ。 さもないと滅びるぞ」と教えているのではありません。 「聖霊様が新しいいのちを下さる」と教えているのです。 「十戒」を守って救われようとする、古い方法の行き着く先は死です。 しかし新しい方法によれば、聖霊様からいのちをいただけるのです。 7 けれども、死に通じる、おきてによる、その古い方法も、初めは輝かしい栄光をおびていたのです。 その栄光のまばゆさに、イスラエルの人々は、モーセの顔をまともに見られないほどでした。 従うべき神のおきてを示した時のモーセの顔は、神の栄光そのもので光り輝いていたからです。――もっとも、その輝きは、やがて消え去る運命にあったのですが。 8 とすれば、聖霊様がいのちを与えてくださる、この今の時には、はるかにすばらしい栄光を、期待できるのではないでしょうか。 9 死に通じる計画にも栄光があったのなら、人々を神様との正しい関係に導く計画には、なおさら、栄光が満ちあふれるのです。 10 事実、モーセの顔の最初の栄光は、新しい契約の圧倒的な栄光に比べたら、取るに足りないものです。 11 もし消え去ってゆく古い方法にも、天の栄光が満ちていたとすれば、私たちの救いのために立てられた神様の新しい計画には、はるかにまさった栄光があるはずです。 それは永遠に続くものだからです。 12 この新しい栄光は、決して消え去らないと確信しているので、私たちはきわめて大胆に語れるのです。 13 そして、モーセのように、栄光の消えていく様子をイスラエルの人々から隠すため、顔に覆いをかけたりはしません。 14 覆いがかけられたのは、モーセの顔だけではありません。 イスラエルの人々の思いや、理解力も、覆われたのです。 今でも、聖書が朗読される時、ユダヤ人の心と思いには、厚い覆いがかかっているように思えます。 というのは、聖書のほんとうの意味を知ることも、理解することもできないからです。 この覆いは、キリスト様を信じてはじめて、取り除かれるのです。 15 確かに、今日でも、彼らがモーセの書を朗読する時、その心には覆いがかかったままです。 それで、「十戒」に従うことこそ救われる道だ、と考えているのです。…

コリント人への第二の手紙 4

1 神様の良い知らせを伝えるという、このすばらしい務めに、私たちを任命してくださったのは、神様ご自身です。 それは、あわれみによるのです。 ですから、私たちは、決して落胆しません。 2 信じさせるために、あれこれたくらむようなまねはしません。 だましたりは、したくないのです。 書かれてもいないことを、聖書の教えであるかのように思わせることも、決してしません。 そのような恥ずかしい方法は、絶対に用いません。 語る時には、神様の前に立って真実を語ります。 私たちを知っている人はみな、このことを認めてくれるはずです。 3 もし私たちの宣べ伝える良い知らせが、だれかの目に隠されているとしたら、永遠の滅びに突っ走っている人に対してです。 4 それは、この邪悪な世の神であるサタンのしわざです。 目隠しをさせて、その人の上に輝いている良い知らせの栄光が、見えないようにしているのです。 また、まことの神、キリスト様の栄光に関する、私たちのすばらしい証言を、理解できないようにしているのです。 5 私たちは、自分のことを宣伝しているのではありません。 主であるキリスト・イエスのことを、宣べ伝えているのです。 自分については、ただ、イエス様が私たちのために成し遂げてくださったことを知ったので、あなたがたに仕える者となった、とだけ言っておきます。 6 というのは、「やみの中に光が輝け」と言われた神様が、私たちに、イエス・キリストの顔にある神の栄光の輝きを、理解させてくださったからです。 7 しかし、このすばらしい宝〔いま私たちのうちに輝いている光と力〕は、こわれやすい器〔私たちの弱い肉体〕の中に入っています。 うちにある、その栄光に満ちた力が、確かに神様から与えられたものであって、私たち自身から出たものでないことは、だれの目にも明らかです。 8 私たちは四方八方から苦しめられ、圧迫されますが、押しつぶされ、打ちのめされることはありません。 「どうしてこんなことが……」と途方にくれるようなことが起きても、絶望して投げ出したりはしません。 9 迫害されていても、神様は決してお見捨てになりません。 打ち倒されても、また立ち上がって、前進を続けます。 10 この体は、かつてのイエス様がそうであったように、いつも死に直面しています。 ですから、私たちを安全に守ってくださる方は、うちに生きておられるイエス様だけであることが、だれの目にも明らかになるのです。 11 まことに、私たちは、主に仕えているために、絶えず死の危険にさらされています。 しかし、そのことでかえって、死ぬべき私たちの体によって、イエス・キリストの力を明らかに示す機会が、常に与えられているのです。 12 私たちは、良い知らせを宣べ伝えているために、死に直面しています。 しかしその結果、あなたがたに永遠のいのちが与えられるのです。 13 旧約聖書の詩篇の作者は、「私は信じている。 それゆえに語る」と言いました。 同じように私たちも、自分が神様の守りの中にあることを確信して、信じていることを大胆に語ります。 14 主イエス様を死から復活させてくださった神様が、私たちをもイエス様と共に復活させ、あなたがたといっしょに御前に立たせてくださることを、信じています。 15 こんな苦しみに甘んじているのも、あなたがたのためを思うからです。 キリスト様に導かれる人が増えれば増えるほど、その大きな恵みを感謝する気持ちがますます満ちあふれ、主の栄光がますます明らかになるのです。…

コリント人への第二の手紙 5

1 私たちがいま住んでいる、天幕の家が取りこわされると〔すなわち、私たちが死んでこの肉体を離れると〕、天にある新しい体、永遠に保証された家がいただけるのです。 それは、人の手ではなく、神様の手でつくられた家です。 2 今のこの体には、もう飽き飽きしています。 だからこそ、天上の体をまるで新しい着物のようにまとえる日を、首を長くして待っているのです。 3 それを着れば、体のない霊だけの状態でいることはないからです。 4 この地上の体のために、嘆きやうめきがありますが、だからといって、死んで、体のない状態になりたいとは思いません。 その新しい体にもぐり込みたいと願うばかりです。 そうすれば、この死ぬべき体が、言わば、永遠のいのちに呑み込まれてしまうからです。 5 これこそ、神様が私たちのために用意してくださったことであり、その保証として、聖霊様を遣わしてくださったのです。 6 いま私たちは、確信をもって、天上の体を待ちこがれています。 また、このように地上の体で過ごしている間は、イエス様と共に過ごす、天上の永遠の家から離れていることも、よく知っています。 7 実際に見ることによってではなく、信じることによって、これを事実と認めているのです。 8 ですから、少しも恐れません。 むしろ、死ぬことは願わしいのです。 それは、天の家に主と共に住むことを意味するからです。 9 そういうわけで、地上でこの肉体でいようと、肉体を離れて主と共に天にいようと、私たちの目的は、何をするにも、いつも主に喜ばれることです。 10 なぜなら、やがて私たちはみな、キリスト様の前で、さばきを受けなければならず、全生活がさらけ出されることになるからです。 善であれ悪であれ、地上の体でいる時の行ないに応じて、私たちはそれぞれ、ふさわしい報いを受けるのです。 11 ですから、私たちの心には、いつも主を恐れかしこむ厳粛な思いがあります。 それで、ほかの人々を説得しようと、やっきになっているのです。 それが純粋な気持ちから出ていることを、神様はご存じです。 だから、あなたがたにも、このことをはっきり知っていただきたいと、心から願っているのです。 12 またもや、私たちが自己推薦を始めたと思いますか。 そうではありません。 ただ、あなたがたに手ごろな武器を供給しようとしているのです。 この武器があれば、外見のりっぱさと説教のうまさとを誇りながら、その実、心の中は偽りと不誠実で満ちている説教者に対抗できます。 少なくともあなたがたは、私たちの動機が正しく、しかも誠実である点を誇ることができるのです。 13-14 自分のことをこのように言うとは、気が狂っているのでしょうか。 もし気が狂っているとすれば、それは神様の栄光のためです。 もし正気であるなら、あなたがたのためです。 確かに、私たちは何をするにしても、自分の利益を求めるのではなく、キリスト様の愛に動かされて、しているのです。 キリスト様が私たちすべてのために死んでくださったことを信じる以上、自分が、今までの古い生活に対して死んだことも信じなければなりません。 15 キリスト様は、全人類のために死んでくださいました。 それは、キリスト様から永遠のいのちをいただいて生きる人がみな、もはや自分を喜ばせるためではなく、自分のために死んで復活されたキリスト様に喜ばれるように生きるためです。 16 ですから、世間の評判や、外見の良し悪しで、クリスチャンを評価するのはやめなさい。 以前、私は、その誤った考え方で、キリスト様のことを、単に自分と同じ人間とみなしていました。 しかし今では、その考えは一変しました。…